第25話 2連勝

 

 

中屋の快勝劇には驚いた。負けることはないだろう、とは思っていたが、1ラウンドKOとは出来すぎである。相手の攻撃をほとんど貰っていないので無傷に近い。勝っても乱れる事も無く相手コーナーと観客に頭を下げて引き揚げていった。この辺は中屋らしい。この試合で勢いが付いたのかKO決着が多くなった。4試合目と5試合目は2ラウンドKO。6試合目は判定だったが、7試合目は3ラウンドKO。そして8試合目、木村の出番である。3回戦とはいえ木村は黒いガウンを羽織って入場してきた。背中には何か刺繍が入っていたが、ここからは読めない。相手の河村もガウンを羽織って入場。こちらは白いガウンだった。今でこそ3回戦でもガウンを作る選手は珍しくないが、当時はまだ前座でしている選手は少なかった。両者ともおそらく5回戦に上がった時の事を考えて作ったのかもしれない。河村は23歳、身長が180センチくらい。木村と同じくらいだ。彫りが深く外国人っぽい顔立ちだが、パンフレットを見ると山梨県出身と書いてあるから日本人だろう。
  衣笠さんの紹介が終わり試合が始まった。若くスタミナに自信のある河村が積極的に前に出て行く。左ジャブから右ローキック。木村が軽くバックステップしてかわしたところに左ミドルが流れるように飛んでくる。長身で手足が長いから左ミドルがキレイだ。木村は飛んで来たミドルをヒジでブロックしてから半歩左前に出ながら左フックから右のローを返す。更にそこから首を取って首相撲に入ろうとするが、河村はショートレンジからワンツーを返す。更に左アッパーが木村の顎に飛んでいく。木村はスウェーバックしてギリギリ避けるが、そこに追撃の右ストレート。左にヘッドスリップしてかわし、足を使って左に回りこみながら右のハイキックを放つ。河村は右のグローブでブロック、ワンツーの連打でどんどん前に出て来る。河村はとにかくイキが良い。攻撃もリズミカルだ。クリーンヒットこそ許さない木村はさすがだが、先に出てくるのは必ず河村のほうだ。後手後手になっている感は否めない。1ラウンドは先に出る河村、避けて避けてカウンターを狙う木村。そんな展開で終了した。コーナーに戻った木村は佐々田から激しい調子で何か言われているようだ。ここまでは聞こえないが何か叱咤しているように見える。何と言っているのだろう。
 2ラウンドが始まった。今度は木村が先に打って出た。左ジャブで距離を測り右のミドル。足を戻しながら左フックで前に出る。河村も負けずに打ち返してくる。おそらく佐々田の指示は「先に手を出せ。」 だろう。クリーンヒットこそさせていないが、後手に回っていると審判の印象が悪くなる。判定になった際不利だ。キレイにアウトボックス出来ればそれに越した事はないが、1ラウンドを観る限り河村は実力者だ。ヒットアンドウェイは難しい。危険だが多少の打ち合いは覚悟しなければ勝ちはない。木村はこの試合のためにボクシングジムでA級ボクサーを相手に特訓を続けてきた。ずっと指導してきた佐々田は河村と打ち合えると判断したのだろう。2ラウンドはお互いに激しい打ち合いが続いた。早いパンチがお互いの顔面をかすめる。鋭い蹴りが交錯。蹴られたら蹴り返す。ウェルター級としてはお互いに長身で受け返しの激しい攻防は、タイ人同士のようなハイレベルな内容だった。3回戦離れした展開に観客も沸く。お互いの攻撃には一撃必殺の迫力がある。いつKOで決着がついてもおかしくないが、良く見るとダメージを与えられるような攻撃はお互いにほとんど当たっていない。それだけ二人の防御センスが良いのだ。2ラウンドが終了、コーナーに戻った木村は肩で大きく深呼吸している。早いピッチでの攻防は体力だけでなく神経も使う。こういう試合は33歳の木村には苦しい。しかし河村の方もかなり消耗しているようだ。若くてイキが良い河村にとってもこれは苦しい試合だろう。次はラスト、ここまでの展開を考えると互角。次を取ったほうが勝ちだとは思うが、もし1ラウンド後手に回ったために河村のほうに1ポイント付いていたらヤバイ。次のラウンドを取ってもドローになってしまう。出来ればダウンを取りたいところだ。青コーナー側に続く通路の後ろの方に中屋の姿が見えた。心配そうに試合の行方を窺っているように見えた
 最終ラウンドのゴングが鳴った。短距離走の如く、お互いに一気に出た。駆け引きなしのどつき合いだ。陳腐な言い回しだが、「意地と意地のぶつかり合い」ってやつだ。こういう意地の張り合いはとてもオイラには無理だ。それが分かっているだけに、見ていて怖くなった。しかし木村はこんな危険な打ち合いでも冷静だった。パンチを顔面だけでなくボディにも散らし始めたのだ。この攻撃は有効だった。最初河村はヒジでブロックしていたのだが、そのうちにボディへのパンチを嫌がるように体が流れ始めた。距離を取ってミドルを蹴ろうとするが、木村は逃がさない。河村のお株を取るように一気に距離を詰めてパンチのラッシュだ。懐に潜り込んでのボディ打ちもカウンターのヒザ蹴りを警戒。出入りのリズムを変えて打つ。2分を過ぎた頃、ボディを守ろうと河村のガードが下がりだした。木村は上体を軽く沈めてボディ打ちと見せかけながら、右のフックを河村の顔面に叩き込んだ。ダウンこそしなかったがグラついた。汗が飛び散っていくのがオイラの場所からも見えた。左のミドルがボディへ。明らかに効いているのだが河村は倒れない。負けたくない、という意地か。勝てば5回戦昇格という夢が河村を支えているのだろうか? ラスト20秒。木村はラッシュをかけるが、河村は最後まで倒れなかった。逆に打ち返して来る。ワンツーの4連打。前に出てくる木村の顔面にクリーンヒット。カウンター気味に貰ったので一瞬、木村がグラついたが、すぐに距離を取り直して左ジャブを付いたところで試合終了のゴングが鳴った。
 判定は3−0で木村の勝利だった。レフェリー、ジャッジ2人とも30対29で木村だった。1、2ラウンドは互角。グラついたシーンはあったものの、3ラウンドは木村優勢と取ってくれたのだろう。判定こそ3−0だが、内容は際どいものだったと思う。最終回のボディ打ちがなかったらどう転んでいたのか分からない。これもボクシングジムでの特訓の成果だろう。特にボディブローを打つときの相手の懐に入るフットワークやリズムの変化の付け方はスゴイと思った。一度見ただけでは良く分からない。もう一度見たい。今度木村の練習を盗み見て真似をしよう。
 当たり前の話だがキックボクサーは国際式ボクサーに比べるとパンチの技術は劣る。蹴りを織り交ぜたコンビネーションを基本に練習しているので細かいパンチの攻防に慣れていない場合が多い。最近ではボクシングジムに出稽古する選手は珍しくないが、この頃はまだ少なかった。しかも河村は地方ジムの所属。スパーリングも含めて、国際式ボクサーと練習する機会は少なかったはず。そのために木村のボクシング的な動きに付いて行けなかったのだろう。
 これで木村は次から5回戦だ。大崎ジム2人目の5回戦選手だ。勝った木村だけでなく宮田も佐々田も嬉しそうな顔をしていた。33歳での昇格は珍しいのではないか。これで三沢が勝てば、今日の大崎ジムは全勝である。