第1話  日活映画が毎週観られる唯一の名画座

浅草新劇場

 

浅草新劇場は六区の映画街の端っこ、場外馬券場の前にある映画館。ここは日活の他に、大映、松竹、東宝、各社の邦画をチョイスして3本立てにした上映館である。オイラが通っていたのは1970年代後半から80年代前半。『ぴあ』で偶然見付けたのだが、毎週日活映画を観る事が出来るのは、ここだけであった。料金は現在は1000円均一だが、当時は500円。窓口で『ぴあ』を提示すると400円になった。
 まだ学生だったから金が無くて、毎週都内の自宅から約1時間かけて自転車で通っていた。上映は朝10時からスタート。3本全部観ていると、終わるのが15時頃になってしまう。

通い始めた頃は全部観ていたのだが、それでは折角の日曜日が映画で潰れてしまう。だから映画館にTELして、日活作品だけを選んで観ていた。日活作品は大抵、朝10時の1発目だったので、9時頃までに自宅を出発。国際通り沿いに自転車を駐輪して通っていた。
 お世辞にもキレイな劇場ではなかった(関係者の方、ゴメンナサイ)。客層も昼間だというのに酔っ払いやニコヨン(労務者)、ホモの痴漢、スリみたいなのばかり。日曜、祭日は普通の客もいるのだが、平日の治安の悪さは結構スゴかった。ガラガラの客席の前の方で労務者同士がケンカしていたり、オイラの股間に手を伸ばして来たオッサン(痴漢か?それともスリか?)に遭遇したりと、行く度にビクビクさせられた。シートは汚いし、客の多くは座ると前の座席の背もたれに足をかけるので、(これが原因でケンカになることが多かった。)オイラはどんなに空いていても座らずに後ろの通路で立見していた。一説によると、劇場内後ろの通路に立つというのは、ホモ同士のサインらしい。痴漢にあったのはその為だったのか??換気口の下も汚そうだったから、近寄らないようにしていた。映画は11時半には終わるから、自転車でアメ横、または秋葉原をフラフラとウィンドショッピングして夕方、家に帰る。
 これが当時のオイラの休日のパターンであった。欲しい物はたくさんあったが、金はない。怠け者だし社会性もないので、バイトはしていなかった。電車賃も勿体無いので、移動は当然?自転車。腹が減っても金が無いので、外食は滅多にしなかった。親から貰った小遣いは全部、映画代であった。
 あの頃はオタクとしてヒドイ生活をしていたと思う。(ヒドイ生活は今も同じだが・・・・)
そんな熱心に通っていた浅草新劇場だが、長く通っていると未見の作品がかからなくなってきたのと、就職して生活が変わってしまったため、徐々に足が遠ざかってしまった。
 今回、写真撮影の為に浅草に行った。
約20年ぶりに来たのだが、六区の映画街もすっかりサビレテいた。『浅草新劇場』同様に通った『浅草花月』や『トキワ座』、『東京クラブ』ももうない。が、我らが『新劇場』は健在である。気のせいか、ウィンドウや入り口が少しキレイになっていた。自販機で券を買って中に入る。オイラが通っていた頃は自販機ではなかった。窓口で買って入ったのだ。映写室も現在は1階だが、以前は3階だった。売店でお菓子を買って、オバちゃんに聞きこみしてみる。「ずいぶん前にねぇ、1ヶ月くらい休んで直したのよ。」ずいぶん前って、いつなのか教えてもらえなかった。しつこく聞くのも何だし、2階に上がってみる。2階には小さいがロビーがあって、競馬中継のテレビが置いてある。10人くらいのオッサン達がテレビを囲んで、競馬中継を見ている。あんたら入場料払って中に入ったんだろ?映画館で競馬中継なんか観てるなよ。映写室のあった部分は現在は座席になっていた。オイラが行ったのは、土曜日の午後。座席はほとんどが埋まっていた。

 

 見よ!このラインナップ。『鷲と鷹』、『女賭場荒らし』と同時上映が『釣りバカ日誌8』という支離滅裂な組合わせ。上映作品のラインナップは昔と変わっていない。相変わらずの邦画3本立て。入り口のウィンドウには上映作品のポスター、その上には「邦画黄金時代の良き映画を見なおして見ませんか!!」「彼氏と彼女の憧れの大スターに銀幕で再会しよう!!」のコピーが踊っていた。うぅ・・・泣かせるぜ。
 しかしかつて、邦画にも黄金時代と呼べる時代があったのだ。銀幕のスターと言われる人々が存在した時代があったのである。ちょっと汚いけど?ここに来ればそんな時代の人たちに会える。
『浅草新劇場』、ここだけは無くなって欲しくない名画座である。

 

 

浅草新劇場データ
      座席数 427   料金 均一/1000円
   住所 六区映画街馬券売場前
   電話番号 03−3841−2815
   駐車場 無   アルコール販売 無