第5録

深江章喜トークショー

 

4日土曜日は銀座シネパトスに出撃! 上映中の『加山雄三&赤木圭一郎特集』 。この日は10時半から『霧笛が俺を呼んでいる』 上映後に深江章喜トークショーが行われるのだー。

 インタビュアーが友の会の松本正丈氏でHPでも告知されていたので混雑するだろう。2月の有楽町でのイベントを思い出す。あの日は平日昼間にも関わらず結構人がいた。シネパトスはあまりデカイ劇場ではない。入れなかったら大変だ。ダメならその辺でメシ食って帰れば良いや。早く行くつもりがトイレに入っていたりで出遅れてしまった。劇場に到着したのが10時15分。結構人はいたが楽勝で入れた。しかし前の方は既に客で一杯。オイラは劇場真ん中の少し後ろ辺りに座ることに成功。しかし来ている客の多くは当然の事ながら年配者。爺さんも多いが婆さんも結構いた。あとはオイラのような中年オタク野郎。中には30代くらいのカップルがいた…腹立たしい(笑) 。

 映画はもう何度も観ているのでどうーでも良い(失礼) 。しかし毎度の事だが、芦川いづみさんはキレイだな。映画が終了したのが11時50分頃。椅子やテーブルをセッティングしてトークショーが始まったのが、12時チョッと前くらいからだった。


            

深江章喜さんは昭和3年生まれの82歳。髪は薄く残っている部分は白くなっていたが、中村警部!!だ、発明刑事だ!! お元気そうで何より。時間にして20分程度、大体以下のような事を語ってくれました(裏覚えなので間違いもあります) 。

「日活は昭和29年に時代劇で始まりました。『国定忠治』 と『暗闇の丑松』 。時代劇は不慣れだつたので顔に汗かいたり、衣装に汗染み作ったりして衣装部さんに怒られたりしました。日活(アクション) は海が多かったので、裸で済むから時代劇よりも楽でした。

赤木くんと初めて会ったのは『銀座の砂漠』 。彼が研修中で、まだ赤塚親弘だった時。撮影前に食堂で裕ちゃんや宍戸くん、小林旭くんとかでお茶飲んでいたら、眼の涼しい、足はあんまり長くなかったけど(笑) 、ガッチリした体の、キレイな目をした青年が歩いてきたんです。おいアレ誰だよ、なんて言ってました。

『銀座の砂漠』 は彼はどこに出ていたのか憶えていないのですが、私の子分だったのかな? 生真面目な男でリハーサルの立ち回りでも手抜きしないでやっていました。

一番辛かったのは『打倒(ノックダウン)』 の時でした。後楽園でのボクシングシーンの撮影では早朝から撮影で、観客役の人たちはカメラが変わるたびに移動しなくてはならないので、カットカットで何ラウンドもやらなくてはならない。ボクサーだから汗かいていなくちゃならないので、霧をかけてもらうのですが(裸だから) もう寒くて。(対戦相手が) 本物のボクサーの人で、アップのシーンで殴られるのですが、もう鼻水が出たりで大変でした。赤木くんは二度ほど脳震盪起こしたりしました。ボクシング映画は裸だからゴマかしが効かない。(松尾昭典監督は) カットの多い監督だったから苦労しました。」
 
司会の松本氏は松尾昭典監督に話を聞いた事があるそうで「赤木さんと深江さんには苦労させた、と言っていました。」

「日活映画は海が多い。横浜の第三埠頭とか行きました。早朝出発で調布から撮影所のバスで行くのですが、必ず車で乗り付けてくる怖い人たち(ヤクザ) がいました。人よけしてやる、と言うのですが、朝早いと人なんかいないんですよ(笑) 。製作主任がお金を渡すと帰っていきました。お金渡すまで帰らないんですよ(笑) 。

『不敵に笑う男』 で能登半島の端っこの撮影でも(地元の) ヤクザの人たちがいて挨拶しないと撮影出来ない。何でこんなトコにもいるの? と思いました。挨拶しないと多摩川まで行くぞ、と言われました。

当時は月給7000円で一本出るとギャラが5000円付きました。当時は調布駅前の土地は坪300円。俳優部の人に、貯金して調布の土地を買っておきなさい、と言われたけど、こんな田舎の土地を買っても仕方ない、なんて思って、新宿2丁目とかで飲んで使ってしまいました。負け惜しみ言うわけじゃないけど、土地を買った奴は早死にしてます(笑) 。(他の人で買ったのは) 高橋英樹くらい。

(事故の日) 赤木くんは疲れていたんでしょう。ゴーカートはあの時初めて見ました。ヘルメットもしていたのに右即頭部陥没。本当に運が悪かった。撮影は中止になって、戸板で撮影所裏の慈恵医大病院に運ばれました。でも彼は無意識に暴れるんですよ。酸素マスクを外そうとするんです。僕と宍戸くん、郷^治、4〜5人で抑えたりして…気の毒だね。本当に良い奴だったので。スピードもそんなに出ていなかったんですよ。打ち所が悪かった。今でも思い出すと堪らない気持ちになります。生きていたら日本を代表する俳優さんになっていたかも。歌はあんまり巧くなかったけどね(笑) 。裕ちゃんは巧かったけど、(赤木くんは) ぶっきらぼうな歌い方だけど味があった。何しろ彼の目を見ると澄んでいてね。なんともいえない魅力があった。あんな良い奴が今でもいたら、僕ももっと仕事していたかも(笑) 。」


             

深江さんはトークの際、『不敵に笑う男』 のロケで旅館で撮った写真を持参。帰り際に出口に置かれていたけど、とにかく人が多かったのでじっくりは見られなかったのが残念。室内で中央はトニー、向って右側が青山恭二、左側に宍戸錠、深江さんはその隣。その後ろに女性陣、他スタッフなのか? 旅館の人なのか? 15〜16人くらいの集合写真だった。

 劇場を出たのは12時20分頃。同時上映の『歌う若大将』 はシネパトスの違う劇場で行われる。この日は2本観ると1400円だけど、トニーのだけだと1000円。若大将ももう何度も観ているから、パスして劇場を脱出。貴重なイベントでありました。

深江章喜さん、いつまでもお元気で、また日活映画を語ってください。