7話 走れ!おたく野郎

 

 朝5時。上下のジャージを3枚着こんで外に出た。12月なのでこの時間では外は真っ暗だ・・・寒い。ジャージのフードで顔を覆う。4時50分に目覚ましをセット。寒いのですぐには起きられなかった。5分ほど布団の中で悶々とした。面倒くさいな、やっぱり走るの止めようか。暖かい布団の中で寝ていた方が楽だ・・・いやダメだ。昨日の中屋とのスパーリングを思い出した。中屋も今頃は走っているに違いない。オイラはモソモソと起き出した。世界中探しても走らないボクサーはいない。ボクサーの商売は走ること、と言い切る選手は多い。1956年、48連勝無敗で引退したプロボクシング元世界ヘビー級王者・ロッキーマルシアノ。彼の引退の理由は「朝走るのがイヤになったから。」というのは有名な話だ。それくらい走るというのはボクサーにとって重要な事なのだ。著名選手でも「走るのキライ。」と公言する選手はいる。それで通用する選手も確かにいる。しかしそれは稀な例だ。強くなりたければ、まず走ることだ。
 
走るコースは既に決めてある。大久保の自宅を出発、早稲田大学近くの戸山公園を抜けて、高田馬場を回って帰ってくるコース。昨夜、家にあった地図で距離を測ると、大体、5.8Kmくらいある。走るのは本当に苦手だ。中学生の時、校内マラソン大会で8,5Kmを1時間かかったという有様だ。大崎ジムに入門して5ヶ月。毎日練習しているから、あの頃よりは速く走れるとは思うが、それでも40分以上かかるだろう。左腕に安物のデジタル時計を付けた。ストップウォッチで時間を計ろう。準備体操をして、オイラはスタートボタンを押して走り出した。走ると言えば聞こえは良いが、スタミナのないオイラではジョギングに毛の生えた程度のペースでしかない。それでもすぐに呼吸が荒くなってくる。明治通りを越えて戸山公園に入る。戸山公園は明治通りを境に大久保地区と箱根山地区とに分かれる。箱根山地区にはその名の通り『箱根山』と呼ばれる標高44.6メートルの小山がある。731部隊の元となった国立予防衛生研究所や戸山ハイツと呼ばれる団地群が隣接している。都会のど真ん中だが、この一角は緑が多く坂道もあるのでロードワークには丁度良い。ヘロヘロになりながら走る。真冬でもジャージの下は汗でビッショリだ。クタビレてくると休みたくなる。「止まっても良い。疲れたら休んでも良い、しかし最後まで走らなければゴールは見えない。」昔そんなキャッチコピーのCMがあったな。休むと本当に走れなくなるような気がするので、立ち止まらずに歩いた。信号待ちは仕方がないので休む。本当に疲れて来ると、この信号待ちは結構助かった。「信号待ちなんだから・・・」自分で自分に言い訳をして休んだ。箱根山の麓を通過すると、軽い上り坂に差し掛かる。左手にはグランドがある。坂道の頂上には信号の付いた小さな交差点。交差点まで坂道ダッシュだ。お世辞にもダッシュとは言えないスピードだが、とにかく走る。赤信号で休む。また走る。ダラダラ走ったのだが、初日のタイムは37分52秒で自宅に帰り付いた。40分は切れた。昨日のスパーではスタミナ切れ起こしたが、昔に比べると格段に体力が付いている。毎日走った。徐々にタイムが短くなってきた。2日目は36分58秒。3日目は35分44秒。10日も過ぎる頃には30分を切るペースで走れるようになった。体にキレが付いてきたのが分かる。ロードワークの成果はすぐに現れた。サンドバッグを蹴るとスピードが乗って、蹴り足がサンドバッグに食い込む感じが出てきたのだ。シャドウボクシングの時もワンツーを出すとスムーズに手が出る。手だけではなく腰も入るので肩が前に出るようになった。その分パンチが伸びる。スピードも付いているので、自分のパンチで空気を切り裂いている感覚があった。バランスも良くなったのか?左ジャブから右ストレート、そこから左フック、さらに右ストレート。以前はワンツーを打つと、そこで止まってしまっていたのだが、スリー・フォーと手が出るようになったのだ。見ていた佐々田が「最近、バランス良くなってきたな。」誉められた。ついでにワンツーから左アッパー、そこから右ストレートのコンビネーションまで教わった。
 年末、学校は冬休みになったが、毎朝ロードワークは欠かさなかった。最初は37分かかっていたものが最近では22〜23分で走れるようになった。一度だけ20分33秒で走った事がある。最初の頃に比べると随分早く走れるようになったものだ。元々、対人恐怖症の気のあるオイラは人と関わる事は苦手だった。団体競技は大嫌いだし、人と協力して作業したり、他人と競争する事は苦痛でしかない。逆に独りで行う作業は全く苦にならなかった。他人の顔色を窺うことなく、一から十まで自分の思い通りに出来るからだ。だから早朝、孤独に走るという行為はオタク気質のオイラにとって性に合う行為だったのかもしれない。動きが良くなったせいか、スパーリングやマスボクシングの声がかかるようになった。相手は中屋だけでなく、他の練習生、時には試合の決まったプロ選手の相手をする事もあった。この頃のオイラの体重は60Kgくらい。ジムの連中の殆んどはライト級やフェザー級くらいだから、体格的に丁度良かった。
 ある日のジム帰り。中屋と一緒になった。二人で駅まで歩いた。最近はタイミングが合うと一緒に帰るようになった。多少は気心が知れてきたので、世間話をするようになった。とはいえ話題はキックボクシングの事ばかりだ。共通点はこれしかないし、お互い話題が豊富と言うわけでもない。だからどうしてもキック中心の話になってしまう。いつもは発売中の格闘技雑誌の記事や次回の興行の話。選手の噂話など他愛ない事を言い合うのだが、この日は違った。中屋は神妙な顔で言った。「正月明けにデビューすることになりました。」