第26話 人でない者

 

 木村の試合が終わると、次から5回戦の試合である。その前に10分間の休憩時間になった。ホールの入り口には雑誌社や格闘技グッズを扱っている会社が売店を設置。書籍やグローブ、ムエタイパンツやタイオイルなどの商品を売っている。雑誌も書店売りしているだけでなく、取次店を通さず通販や専門店でしか扱っていない本などが置いてある。読みたいが店員が目の前なので立ち読みは出来ない雰囲気。休憩時間なので周囲は客でごった返している。飲み物や食べ物を扱う売店も人で一杯だ。金のないオイラは何も買えないので売られている本の表紙だけチラリと見て元の場所に引き返した。幸い他の客に場所を取られてはいなかった。
 休憩が終わると5回戦、9試合目が始まった。三沢の試合は11試合目。もうすぐだ。9試合はフライ級のノーランカー同士の試合。軽量級らしくスピーディな展開だったが、それも最初だけ。お互いに疲れてくるとダラダラとした内容に客もダレてくる。子供の喧嘩のような試合に「良い試合だな〜!」 野次が飛んでいた。お互いに決め手がなく引き分け。10試合目のフェザー級の試合は3位と7位の対決。さすがにランカー同士の対決なのでそれなりにハイレベルな攻防だったが、メリハリのない展開。上位ランカーの貫禄で3位の選手が判定勝ち。そして11試合目、いよいよ三沢の試合である。5回戦2試合が連続して判定なので、ここはスカッとしたKO勝ちが観たいところだ。場内にはそんな雰囲気が流れている。金を出して観に来る方にしたらそう思うのが当然なのだが、やる方にしてみたら「冗談じゃない!」 相手も本気で来るのだ。そう簡単に行くものではないし、下手をすれば自分がKOされてしまう可能性もある。そんな異常な雰囲気の中で戦う選手たちは勇敢である。
 5回戦からは入場の際に音楽が鳴る。最初に青コーナー側通路から
マーキス・ジョンソンが出てきた。身長は180センチくらいか。ライト級としては長身である。白人のトレーナーを先頭に黒いフードの付いたガウンを羽織って登場した。ヒップホップ調の音楽に合わせて軽くステップを踏んでいる。フードで隠れているが顔は小さそうだ。リング上でガウンを脱ぐ。場内がどよめいた。上半身が筋肉の塊りという感じだ。大胸筋が盛り上がり。肩の肉も分厚い。腕も太い。太い上に長い。リーチは身長以上にありそうだ。腹筋がキレイに二つに割れている。上半身だけを見るとライト級61.23キロとは思えない。ミドル級72.57キロでもおかしくないボリュームである。その分足は細い。しかし長い。身長の3分の2は足という感じだ。足の細さと顔の小ささで帳尻を合わせているのだろう。何とも人間離れしたアンバランスな体型。本当にこいつは人間なのか? サルが進化した生き物が人間なら、こいつは全く別な生き物が人の形になったとしか思えない。虎やライオンのような猛獣か? 爬虫類? いや違う。昆虫だ。この手の知識のないオイラだが、漠然とそう感じたのだ。人間とは違う手足のバランスは昆虫が進化して人の形になったとしか思えなかった。裏覚えなので確証はないが、同じ体格で戦った場合、虎やライオンよりもカマキリやカブトムシのような昆虫の方が強いという話を聞いた事がある。どんな動きをするのか想像もつかない。極端な逆三角形の上半身は骨格からもう違う作りになっているとしか思えない。異常に発達した後背筋は翼のようだ。
 音楽が変わり、赤コーナー側通路から三沢が入場してきた。1月の試合では背中に龍の刺繍の入った白いガウンだったが、今度は真っ赤なものだった。襟や袖の部分だけ黄色い。背中に何か字が書いてあるようだが、英語らしくオイラには読めない。三沢の入場は前回同様に華麗で人を惹き付ける不思議な魅力があるのだが、マーキスの人間離れした体を見てしまった後だけに、さすがに見劣りするのは否めなかった。しかしそれも最初だけ。何十人といるであろう三沢の応援団は、萎縮しがちな士気を吹き払うように「三沢〜!!」 口々に叫ぶ。クラッカーが鳴り、何本もの紙テープが飛んだ。女の子からの花束も3本あった。衣笠さんの紹介が終わり、レフェリーが二人を中央に呼び寄せる。二人の体の違いに場内がまたどよめく。三沢の身長は175〜176センチくらいか。マーキスよりもわずかに低いくらいだが、手足の長さ、上半身の厚みが全然違う。三沢はライト級としては均整の取れた体をしている。練習量も充分なのでそれなりにビルドアップしているが、人間離れした黒い体と比較すると色の白い三沢のそれは貧弱なものにしか見えなかった。四角い檻の中で野獣と対峙するウサギのようだ。マーキスはゴングを無視して喰い付かんばかりの激しい形相で三沢を睨みつけている。口をクチャクチャと動かしているようだ。仕留めた獲物を反芻しているように見えた。そんな怪物を目の前にしても三沢は表情1つ変えなかった。いやうっすらと笑みを浮かべているように見える。余裕なのか? こんな得体の知れない化け物を前にしてどうしてこんな表情が作れるのだろう。単に度胸が据わっているだけとも思えない。何か勝算があるのだろうか? コーナーに戻り、佐々田からマウスピースを口に入れてもらう。試合開始のゴングが鳴った。