第7録 

銀座シネパトス 和泉雅子舞台挨拶

 

11月20日から28日まで銀座シネパトスでは舟木一夫特集が行われている。23日は『絶唱』 『その人は昔』 上映。どちらも観た作品だが、今日は和泉雅子さんの舞台挨拶があるので出撃! 当初は14時と17時半の『絶唱』 上映前に行われる予定だったが、混雑が予想されるということで10時半の回終了後、14時の回開始前、18時の回開始前と3回行われた。

 オイラは9時45分会場到着。既に数十人の客。当然の事ながら、客の8割は60代と思われる“お嬢さん” (みのもんた風に) 。爺さんもいたけど、これは和泉雅子か、内藤洋子ファンか。オイラと同じようなオタク中年は見かけなかった(気がする) 。出撃した“使い手” はいなかったのだろうか。会場内はホントに混雑。オイラは何とか真ん中辺りの右側通路際の席に座る事が出来た。

 会場は入れ替え無しで1300円。3回行われた舞台挨拶だが、これ全部観ているとせっかくの休日がこれだけで終わってしまう。それに人の多いところにいるのは鬱のオイラには苦しい。18時過ぎからの3回目はパス。誰か観た使い手はいるのだろうか?

1回目と2回目の内容を忘れないうちに記述。

             

 

1回目は10時半の『絶唱』 終了後に行われた。12時15分くらいから12〜13分くらい。司会者(シネパトスの支配人・鈴木氏) の呼びかけで着物姿で登場。

出身は?

この(シネパトスの)上です。(同じ) 町内会です。この映画館は私が小学1年か幼稚園の時くらいに出来たんです。ニュース映画館だったんです。どういうわけかディズニーの漫画映画やっていて、すっかり惚れこんじゃって『北国の街』 撮っている頃、ディズニーに就職しようと思って、漫画教室に通ったんですけどダメだったんです(笑) 。

劇団若草ご出身ですよね?

最初喜劇役者になりたかったんです。私本当は柳家金五楼の最後の弟子なんです。でもどうしても顔がキレイすぎると言われて(笑) 、喜劇ダメって言われて、本人は喜劇なんですけどね(笑) 。それで日活入れられちゃったんです。最初13歳の時にターキーさんに見初められて内緒で出たんです。18歳の役なのでハイシール(さすが江戸っ子!! ヒールをシールと発言して場内爆笑) でタイトスカート穿いて、もう慣れないから転んじゃうんですよ。そんな事ばかりやっていました。」

ここシネパトスも日活の映画やります

私が日活入る頃、中学1年生くらいの頃にニュース映画館から日活の映画館に変わって。でも一番館じゃなくて二番館か三番館くらいで。今度日活入るから赤木圭一郎さんの映画観に行こうって両親と来ました。」

今日は『絶唱』 上映ですが、小雪の役、抜擢の理由は?

それはねぇ、『ああ青春の胸の血は』 「は」 だっけ? 「胸の血を」 だっけ? どっち? 」

お客さんに尋ねて教えてもらう。

“は” ね。それで始まって、『北国の街』 とか「リーフ」 って何だっけ?」

またお客さんに尋ねる。

『高原のお嬢さん』 。あともう一つあったでしょ? なんかそういうのばっかりやってたから、何かコンビっていうことでやってたの。」

『哀愁の夜』 も『友を送る歌』 も『絶唱』 と同じ1966年ですが…

『友を送る歌』 なんてのもあったの?(笑) あった?(また客に尋ねる、「あった」 と言われても憶えていないらしく) 知らないで出てるのって嫌ねぇ。高齢化しちゃって(爆笑) 。」

『絶唱』 に関して?

アキラさんや三浦友和さんに比べて、舟木くんが一番良かったと思うの。自然体で、あの役はピッタリだったと思うの。舟木くんは坊主頭になって潔かった。あの頃は人気歌手の方は坊主にはならなかったの。(舟木くんの坊主頭は) 可愛かった(笑) 。私は最後は死体でしょ。何にもしなくて良かったから楽だったの(笑) 。

私たちは台本に書いてあるのを言うだけなのに、舟木くんは暇があると台詞を大学ノートに書いて監督と相談していました。最後の婚礼シーンで座って挨拶をするシーンの台詞は、舟木くんが自分の思いとかを考えた台詞なの。原作もあるし、脚本もしっかりしていたけど、あれは舟木くんが考えて長回しでやったの。私は死体だから後ろで寝ているだけで、観客の一員みたいになって聞いていました(笑) 。

あの頃、顔にニキビがヒドくって、西河監督が「ニキビを取って痩せたら、小雪の役をやらせてあげる。」 って言われました。(小雪は) フーって吹いたら折れてしまうような小枝のような役だって言われたの。私は健康優良児だったから、痩せるってのとニキビのお医者さん通ったりで2週間以上かかりました。だから演技のこととかなくて、(役作りは) とにかく痩せるだけでした(笑) 。(撮影が) 終わった後はまっすぐ歩けないの。栄養失調だったの(笑) もう舟木クンのせいね(爆笑) 。」

1回目はこれでオシマイ。花束を貰って「また後でね」 という感じで消えていった。

 

             

 

2回目がスタートしたのは、『絶唱』 二回目の上映前の14時10分くらいから。

皆さま、本日はウチの町内の映画館にようこそいらっしゃいました(笑) 。私最初(シネパトスで舟木一夫映画特集) やるって知らなかったの。(シネパトス並びの定食屋の) 三原に行ったら、この舟木くんの上映チラシ見たの。そうしたら内藤洋子しか写ってないじゃない(爆笑) 。だから町内として『絶唱』 入れてもらったの。そうしたら(舞台挨拶に) 来なきゃなんないじゃない町内のよしみで(笑)。でもさっきの1回目の挨拶は困っちゃった。『絶唱』 上映後でしょ。ビフォーアフターになっちゃって、イメージがねぇ(爆笑) 。」

小雪役で痩せる話ですが…

『絶唱』 の時は舟木くん忙しい時で、あの人痩せてるんですよ。だから「若様!」 と言って抱きつくんですけど、私の手が後ろに回っちゃって、だいたい私の相手役は高橋英樹さんとか大きい人だったから、大木に蝉が止まっている感じだったのに、逆になっちゃう感じなの。舟木くんはスゴイ痩せてたから「忙しいんだろうなぁ」 と思ってました。だから私は痩せなくちゃって事で。あの時は毎日食パンだけ。何もつけないでね。あとはキュウリに味噌付けて、フルーツもチョッとね。山の中の撮影だけど、私の親がクーラーボックスに入れてはこんでくれて、10キロ痩せました。それでも重いって言うんですよ(笑) 。生きてる人間よりも死体の方が重いから。私死体の役は上手いのよ。鼻で息して目蓋とか動かさないで。でも山の中の撮影で頚動脈が動いてるってカメラマンに言われて、それはどうしようもならないわよ! (笑) 。死体の役は大変なのよ(笑) 」

キレイな死体でした

お化粧はね(笑) 。『絶唱』 の時の化粧は3パターンあって、最初の独身時代はピンク。奥さんになってからはオークル系。それで最後は死体の化粧(笑) 。(撮影は) 夏の暑いときで 暑い砂丘の撮影では衣装変えの場所とかなくて、ヨイトマケの役とか暑い中着替えて化粧しなおして、私はどこでも着替えちゃうんだけど、舟木くんは事務所がどこか借りてくれたらしくて、どこか行って着替えに行くんです。気を使ってくれたんでしょうね。日活にはそんな人はいませんでした(笑) 。」

ラブシーンがありましたけど…

そうなの。この間43年ぶりに(舟木くんと) 話をしたの。彼はロマンスグレーのオジサンで、私は丸いオバサンで(爆笑) 。舟木くんは恥ずかしかったんですって。『北国の街』 のシーンでも恥ずかしくて恥ずかしくてって、言ってました。私は全然憶えていなくて。『北国の街』 でそんなラブシーンあった? って訊いたら「二度もあった」 って言うの。私忘れちゃうんですよ。女優さんは野山を駈けるシーンもラブーシーンもみんな同じなんです。舟木さんはよく憶えてるんです。私全然憶えてなくて、もうビックリしちゃって、アハハ(爆笑) 。」

先日の新橋演舞場での舟木さんの歌謡ショーにも行かれたそうですね

そう! 自分で窓口でキップ買って行きました。良かったわぁ(爆笑) 。北海道とか外国とか行っているならあれですけど、銀座にいるときには行かないとご町内ですから(笑) 。浅草国際劇場とかで(舟木くんの) 歌謡ショーに1週間ほど出た事はあったけど、観た事はなかったの。歌謡ショーって、コンサートね。ホント良かったわぁ(笑) 。」

舟木さんとは映画で恋人やって、付き合いも長いですが、恋愛感情みたいなのはありました?

それはないの。変な意味じゃないのよ。私たちって忙しいのね。あの頃は他に3本くらい映画やってましたから、(終わると) 他の組に行って撮影してましたから。小百合ちゃんと同じで母親が付き人だし、運転手さんが待っているから終わると帰るの。それに若いデビューだったから、お食事行ったりお茶飲んだりとかなかったの。これが25〜26で会ってれば少しは親の目を盗めるから良いんだけど、監視付きでしたから。誰とも行ったことがなかったです。でも高橋くんとか浜田くんとか、山内賢ちゃんたちとかウチに来て呑みに来た事とかありました。舟木くんも来たのよ。自転車乗って。サイクリングの途中で、ノド渇いたって水飲んで。あの頃ご近所で…四谷だったの。よくマネージャーの人とサイクリングの帰りに水呑みに来てました。だから仲間ですね。仕事仲間。」

撮影の時はずっとお母様が付き添われていたのですか?

そうなの。10代のスターですから。子供だったんですよ。男の子は別ですけど、高橋くんは千葉から(1人で) 電車で通ってたけど、女の子はね。小百合ちゃんも(付き人は) お母さんだったし。今の何ていうの? フォーティエイト? (ああいう) オマセさんじゃなかったの。あの頃は高橋くんとか高校生で、私は中学生だったし。みんな10代で、楽しかったですよ。」

今の舟木さんとか見てどうですか?

この間、船橋で(舟木くんと) トークショーしたの。まったくボランティアだからお金取れないから、来てくれるとは思わなかったんですけど、来てくれて。仕事で同窓会しちゃった(笑) 。彼は良い歳の取り方、素敵な歳の取り方をして幸せなんだろうな、と思いました。すごい純真で、心が汚れていないんだろうな、と思いました(場内拍手) 。」

時間終了間際、

時間なの? あーこれからなのにぃ(笑) 。『絶唱』 はお化粧を観てください。小雪にあう化粧を日活の化粧さんが研究してくれたのでそこを観てください。」

花束贈呈があって二回目の挨拶は終了。


                 


 
モノホンの和泉雅子さんは映画の通りのイメージの人だった。深窓の令嬢ではなく商人の娘らしく、明るいチャキチャキした感じ。講演会慣れしているせいか話も上手。人を楽しくさせるオーラが出ていた。

 終了したのが14時45分。さすがに18時15分からの3回目まで粘る元気がない。場内は混んでいるし、一度出ても半券があれば再入場出来るらしいが、鬱のオイラにはもうエネルギーが残っていない。
 会場を出る。三原を覘いたら客が1人しかいなかった。いつも常連さんで一杯で、一見さんでは入れる雰囲気ではないこのお店。気になっていたので突入! カツカレー700円を注文。シネパトスの半券を出すとオマケがあるらしい。小鉢に入った肉じゃがが付いてきた。

17時にバーA。18時まで飲んで帰宅。後になって3回目も行けば良かったかな、と後悔。