二人で勝手にやってくれ!(笑)

 

昨夜のNECOは裕次郎の『世界を賭ける恋』 。製作再開5周年記念作品らしい。海外旅行が今ほど簡単ではない59年にヨーロッパロケした大作(だと思う) 。 真面目に観るのは30年ぶり。今さらながら…つまんねぇ(失礼) 。だってさ(笑) 、これといった事件もドラマもないので平板なのよ。これが「世界を賭ける」 ほどの恋なのか?
 この手の恋愛モノに必須なのは障害である。ハードルが高ければ高いほど、二人の恋は燃え上がる。戦争とか難病とか“よろめき” とか、何かイベントが無いと観ていてつまらないのだ。 この作品にはそういったものがまるでない。両家の親同士の了解も取ってある。あとはゴールインするだけ状態。二人の会話も後のムードアクションにあるような、心に残る名台詞もない。他愛の無い痴話喧嘩をする程度。イチャイチャするだけの陳腐なデートシーンしかないのだ。当然、濃厚な絡みもない。

 後半で裕次郎はヨーロッパに留学するが、それだって期間はたったの3ヶ月。ラブラブ(笑) の二人にとっては過酷な状況なのかもしれないが、何の障害も無いので、観ていて危うい感じがしない。帰国すれば二人は結婚。ヨーロッパ帰りの裕次郎は建築家としての将来を約束されているようなもの。バラ色の未来しかない。つまらん。
 会えない二人は頻繁に手紙のやり取りをする。メールの現代からすればじれったいが、かえって手紙でヤキモキした方が飽きないから良いんじゃないの? 二人の間にこれといった事件もなく、盛り上がるのは当人同士だけ。これまたつまらん。
 そういや手紙の中で裕次郎はルリ子しゃんを「お前」 と呼ぶ宣言をするのだ。「これからは“お前” と呼ぶよ。」  現実のカップルはどうなっているのか知らないが、そんな契約(なのか?) するものなの? アホくさ!(僻むな、このド腐れオタクが!)

 ルリ子しゃんは花嫁修業をするシーンもあるが、この人のこんなトコは観たくないなぁ(笑) 。結婚式の夢も見たらしい。「あなたはきっと気むずかしい顔をなさるだろうと思いました。私はうつむいていることにきめました。他の方が見ない時に、ちょっと横目で見合って笑うだろうと思います。」

もう二人で勝手にやってくれ! 

 他人様のこういうやり取りは観たくない。少なくともこんな陳腐なやり取りを映画にするのはバツだと思う。観ているこっちがこっ恥ずかしくなるのだ。原作は読んだ事ないけど、裕次郎の演じた役は建築家ではなく小説家らしい。そして原作も読者の方が恥ずかしくなるくらい、二人はラブラブなのだそうだ。 

 この映画の売りでもある海外ロケも裕次郎が街をブラつくだけなので面白くも何ともない。ストックホルムに暮らす従兄弟の役で二谷英明が出てくるのだが、現地をガイドするだけ。何しに出てたんだ、この人。英語が堪能だったらしいから、通訳も兼ねて行ったのかな。
 何の障害も無く順風満帆の二人だっただけに、ラストのルリ子しゃんの死はあまりにも唐突。その落差を狙ったのかもしれないが、前半のラブラブぶりを見せ付けられて、こちらは感情移入できなくなっているから、突然の死も全然可哀そうに観えない。ルリ子しゃんの死因は粟粒性結核(ぞくりゅうせいけっかく) 。1週間ほど微熱が続いて病床にいたのが3日間だった、という兄役の葉山良二の台詞があった。急死という設定だから伏線も何も無い。これ原作もあるし、どうやら元々そういう作品らしいから、こうなっちゃうのは仕方ないのかな。

 離れ離れになった二人の恋というと、同じ滝沢英輔監督作品では『絶唱』 がある。こちらの方は戦争という障害があるし、ルリ子しゃんが弱っていく過程も表現されているから全然ドラマチックだった。

 しかしこういうアホなやり取りを経たバカップル (何と言う暴言!) が、円熟してムードアクションという傑作群を生むと考えれば、若き日の過ちという事で勘弁してあげても良いような気もする(あーゴメンなさい!) 。