負け犬の血が許さない

 

風俗の話で思い出すのは、菅原文太主演の72年東映作品『現代やくざ 人斬り与太』 。

ご存知、脚本・石松愛弘&深作欣二。 監督・深作欣二の傑作である。その中で文太アニイが平日(おそらく) 真っ昼間からトルコ遊びをするシーンがあった。

 映画は文太アニイの独白から始まる。母親がパン助。父親は誰だか分からない。生年月日が敗戦記念日なので、「生まれながらの負け犬なんだ」 。青年になったアニイは愚連隊を組織。川崎の街で暴れまわる。負け犬ではなく狂犬である。ムショにも入るが、出所後も更生することもなく、またまた大暴れ。そこを安藤昇先生の口利きで大組織の末端に組み込まれる。組織に入ればもうヤバイ橋を渡らなくても済む。街の一角を縄張りとしてあてがわれたので、ショバ代その他の上がりで黙っていても金は入る。普通なら安定した暮らしに満足するものだが、暴力でしか自分を燃焼させる事が出来ないアニイにとって、ぬるま湯の暮しは退屈なものでしかない。やる事が無いので、真っ昼間からトルコである。そんな夢のような暮らしなのに、アニイはちっとも楽しそうではない。最後は狂犬らしく惨めに殺されてしまうのだが、どうもこのトルコ遊びをするシーンだけは忘れられない。トルコのシーンは僅かなもので、興味のない人から観たら大した事ではないのだが、風俗に思い入れのあるオタク初老男にはグッとくるシーンなのだ。

 文太アニイでトルコというと『トラック野郎シリーズ』 でもお馴染みだが、あーいうファンタジーとは違う。金はあるのでロクに働きもせず、真っ昼間からフラフラ。この自堕落な姿が良いのだ。

 やくざでも堅気でもデキル男は、常に稼業に勤しんでいるものである。会社も組織も右肩上がりでないと維持する事は難しい。それなのにトルコ遊びばかりしている姿に、こんな生活はいつまでも続かない不安定感。暴力で自分を燃焼したいのに出来ないジレンマが見て取れた。狂犬の血が許さない、ってトコかな。

 オイラは負け犬だけど、こういう文太アニイの抱える虚無感は何か分かる。風俗行くと虚しさばかりが残る。行きはやる気マンマンだけど、ドピュッとやってしまえばそれでオシマイ。帰りの足取りは重い。行きも帰りも道中は誰にも逢いたくない。金だけ使ってバカみたいだ。後悔。これに似てるんだよなぁ(違うよ) 。無料ならまた違うかもしれないな(笑) 。

 オイラの場合、男女関係のあり方は有料か無料かの2つしかない。そこに愛という要素が存在していない。偏っているねぇ。まぁ仕方ないよ。オイラは有料でしか女体に触れた事がないからね。でも一度だけ踏み倒してやった事があるから、無料で触れたこともあるよ。スゴイでしょ(アホか) 。

 とはいえ最近は行く前から虚しい。歳のせいか起ちも悪くなってきた。ホントに金の無駄だしねぇ。2万円以上の金を使うのなら、本とかDVDを買うとか、貯金して老後の資金にするとかした方が有意義だ。無料でやらせてくれる女がいれば良いのだが、オイラは王者だからそんなものはいない。やりたかったら金を払うしかないのだ。虚しい。ホントに虚しい。それでも、分かっちゃいるけど止められない。やらないと気持ちが収まらない。定期的にじょんじょろりん!! しないと我慢できん。悲しいオスの性だ。これはあれだな、人斬り五郎がどうしようもなくドスを手にして、殴りこみに行くのに似ているかな(全然違うよ) 。