第5話 必殺!おたくパンチ オイラは思い切ってワンツーで突っ込んだ。最初の左ジャブは牽制だから当てるつもりはない。勝負は2発目に打つ右ストレートだ。右を思い切り中屋の顔面に打ち込んだ・・・はずだった。当たるか?・・・中屋は身を低くしてオイラの右をかわした。ストレートのつもりで打ったオイラの右は大振りのフックのようだった。脇が空いてモーションが大きいから、当たるわけが無い。思いっきり空振りをしたオイラは勢いで膝を付いてしまった。両の拳がリング面に付いた。「振りが大きいよ。落ち着いて。」宮田の声が飛ぶ。佐々田にグローブを拭くように言われた。グローブが地面に付くと、ゴミがグローブに付いてしまう。ナックルパート(拳頭)の部分にゴミが付いていると顔面に当たった場合、ゴミが目に入って危ない。ボクシングの試合でダウンやスリップをした選手が起き上がって再開する時、レフェリーが自分の着ているシャツでグローブを軽く拭くのはこの為である。オイラは自分の着ているTシャツでグローブのナックル部分を拭った。今の空振りだけで既に息が上がってしまっている。時計をチラッと見たら、まだ1分も経っていない。3分ってこんなに長かったっけ。まだ大した攻防していないのに、たった1分でもうバテている。「もうダメだ・・・。」臆病なオイラは体力以上に精神のスタミナがなかった。自分でもパニック起こしてるのが自覚出来た。苦しい、どうしよう。そんなオイラと比べて、中屋はピンピンしていた。肩で大きく息をしているオイラに比べて、中屋は軽く呼吸している感じだった。スパーが再開された。中屋は左右のフックを振り回して前進してきた。オイラは両手でブロックするのが精一杯。たちまちロープに詰められた。昨夜、深夜のTVで観たボクシング中継を思い出したオイラは中屋に組み付いた。クリンチしながらロープ際から脱出した。「こらっ!練習でクリンチなんかするな!」宮田の怒声が飛ぶ。バテバテのオイラはなり振り構ってはいられない。ロープから出られたと思って安心したら、中屋はクリンチを振りほどいて左フックから右ストレートを打って来た。左フックはブロックしたものの、右は貰ってしまった。鼻の辺りがカーッと熱くなった。鼻血が出たようだ。こちらもパンチを振り回した。スタミナが殆んど残っていないが、とにかくパンチを出した。もうガードは下がったままだ。パンチを出したら残った手は顔面を守るのが基本だ。そんな事はもうどこかへ飛んでしまっていた。中屋も応戦してくる。ノーガードで打ち合っていたので、中屋のパンチを数発もらってしまった。バテているのでこちらのパンチの回転は遅い。そんなパンチが相手に当たるわけが無い。ワンツーを顔面にもらったところで、1ラウンド終了のゴングが鳴った。中屋は佐々田のところへ、オイラは宮田の待つコーナーに戻った。バテバテのオイラを見て宮田は「大きく深呼吸3回しろ。」そう言いながら、ティッシュで鼻血を拭いてくれた。深呼吸したら少し落ち着いてきた。呼吸も多少は整ってきた。「左が良いのだから、もっとジャブを突け。右を打つときは脇を締めて、真っ直ぐ打て。いつも練習でやっているだろ!」ガードもしないで、ただ振り回す姿はカッコ悪い。リングの外にもう一人の自分がいて、そのカッコ悪い姿を見ているのがイメージ出来た。見られている自分は鼻血まみれでノーガードで殴られている。本当にブザマだと思った。元々、カッコイイ事には無縁だが、これはヒドイ。へタレのオイラだが、殴り合いで負けるのはオスとして一番惨めな事だと思う。どんなに勉強や仕事が出来て金持ちでモテモテでも、殴り合いのケンカに弱いのは最低だ。チキンのオイラにはケンカをする度胸はない。負け犬人生を歩いて来たオイラだが、ここではこのリングの中だけでは負けたくない、と思った。この中だけでは勝者でいたいと、思った。たかがスパーリングだが、もう少し分の良い展開にしたい。そうでないと今夜は口惜しくてオ○ニーする気も起きない。宮田はオイラの口からマウスピースを外し、傍らにいた3回戦のプロ選手に洗ってくるように命じた。「次がラストだぞ。あきらめるな。頑張れ!」宮田はオイラの心が折れかかっているのを見抜いているのだな。鼻血まみれでバテているオイラの顔は余程情けなさそうに見えたのだろう。 |