戦場は遥かなりて

 

サタデーナイトはラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショー帰りにバーA。23時10分に入って0時の閉店で退散。まっすぐ帰宅してシャワー浴びてダウン。朝メシ食って出撃するつもりが部屋でダラダラ。11時から日本映画専門チャンネルで『新・兵隊やくざ』 やっていたので観てしまった。

                           

ご存知、勝新太郎演じるヤクザ上がりの大宮と田村高廣演じるインテリ上等兵・有田のコンビが大暴れする『兵隊やくざシリーズ』 3作目。このシリーズ好きだったなぁ。30数年前までは、日曜夕方の日本テレビの映画枠で頻繁に放送されていたっけ。

 『兵隊やくざシリーズ』 のみならず、昭和40年代くらいまで製作された戦争映画って妙なリアリティがある。それはやっぱりスタッフや出演者の中に、戦争経験者がいたせいだろう。昭和20年代のものなどは、大半のスタッフ&出演者は戦争に行っているはず。30年代、40年代になるにつれ、その割合は減っていく。

 軍隊経験者の中には最前線に行った人もいれば、敵の来ないようなトコにいたという運の良い人もいるだろう。実際に敵を殺した人もいれば、武器らしい武器を持つ機会もなかった人もいるだろう。『兵隊やくざ』 に出てくるような悪徳憲兵や軍隊幹部のように甘い汁を吸っていた人もいたかもしれない。食べるものもなくて、餓死寸前や栄養失調になっていた人もいたかもしれない。

 いじめられっ子だったオイラにとって恐怖なのは、軍隊特有のイジメである。そういうのが表現された作品は多い。鈴木清順監督の『春婦伝』 では玉川伊佐男の上官にヒラ兵隊の川地民夫はイビラレまくりである。これなどは清順監督自身の経験なのか? 実際に兵隊時代に垣間見たものなのか? それらを誇張して見せたものなのかもしれない。

 山本薩夫の『戦争と人間』 ではアカだった奴は最前線に飛ばされてしまう。北大路欣也は主役の一人だから死ななかったけど、実際にあーだったらとっくに殺されてしまっているだろう。オイラはダメだね。上官に睨まれて最前線。即戦死だよ。

 この頃の戦争ものは、反戦ものと、軍隊のバカバカしさを笑い飛ばしてしまおう、という二通りのものに分かれる。どちらも作り手が当時の恨みを映画の中で晴らしてやろう、という怨念みたいなものを感じる。

 今反戦映画作られても、スタッフも出演者も豊かな時代しか知らないから、全くリアリティがない。別に戦争行った奴がエライと言うわけではないが、どうもね。感情移入できないのだ。普段は髪の毛伸ばしてチャラチャラやっていそうなヤングに戦争語られても、全くこちらの心に響かない。

 『兵隊やくざシリーズ』 は東宝『独立愚連隊シリーズ』 以上に軍隊のバカバカしさをぶっ飛ばしていく痛快さイイ。この二人にとって、戦う敵は八路軍ではなく、日本の軍隊なのではないか。

 この日観た『新・兵隊やくざ』 では、軍を脱走。さらに物資を持ち出して売り飛ばしてしまう。捕まっても開き直り。逆に軍のおエライさんをぶっ飛ばしてしまう。戦争中、上官から理不尽なことでイビられた人は多かったのだと思う。作り手はその辺の鬱憤を晴らしているとしか思えない(笑) 。観客も同じなのだろう。あの時自分を殴った上官をイメージして観ていた人も多かったはずだ。さらに瑳峨三智子他の女郎たちを足抜。自分たちで女郎屋を開いてしまう(笑) 。

 殴られてもビクともしない勝新が、軍隊の秩序を暴力で叩き潰していく。上官だろうが憲兵だろうが、おかまいなし。しかしこれ軍隊のみならず。公開当時、会社とか学校に置き換えて観ていた人もいたかもしれない。腹の立つ上司や得意先。先輩や教師。ぶん殴ってやりてぇ、誰だってそんなこと一度くらいは妄想するもんね(お前だけだよって、そうかぁ?)

 ヤバくなると頭のキレる有田上等兵が相手の弱みを掴んでその窮地を救う。この持ちつ持たれつの関係も良い。何かやろうとしても勝手に暴走せずに「上等兵どの」 必ずお伺いを立てる。勝新演じる大宮は、田村・有田上等兵をリスペクトしている点が素晴らしい。 しかし現実には気に入らない野郎を殴るわけにはいかないし、有田上等兵みたいに助けてくれる人もいない。現実は悲しい。

 そういや3作目で勝新は嵯峨美智子と結婚したけど、最後はどーでも良くなったのか。この関係は自然消滅してしまった。良いのかこれ?

                           

久々にこのシリーズ観たけど面白かった。おかげで出撃するのが遅くなった日曜日であった。