第28話 種明かし

 

 三沢の試合は劇的だった。人間離れした体躯の相手を豪快にKO。この勝利でランキング入りは確実だろう。それは凄い事だが、オイラが気になったのは三沢が見せた不思議な動きだった。長いリーチから間断なく繰り出されるマーキスの左をかいくぐるようにしてスッと懐に入ってしまった。瞬間だったので細かいところが分からない。もう一度みたい。
 三沢の動きが頭から離れず、その後の試合はあまり印象にない。ダブルメインイベントの松木聖とタイガー秋山の試合は松木が判定勝ち。秋山は3ラウンドKO勝ちだった。松木の試合は相手のタイ人がやる気があるのかないのかハッキリしない消極的なファイト。時折出す左ミドルと前蹴りで松木を近寄らせない。強引に前に出る松木。4ラウンドに捕まえてパンチの連打で追い詰めたのが唯一の見せ場か。倒すには至らず判定になった。秋山の試合は2ラウンドにタイ人が強烈な左ミドルを数発蹴って見せ場を作ったが、3ラウンドに蹴りに来たところを右ストレートのカウンターでダウンを奪う。立つかと思ったが、このタイ人もやる気がないのか立ち上がろうともしないでテンカウントとなった。元ラジャ3位とは思えないあっけなさ。両方ともパッとしない相手だったので盛り上がりに欠けた内容だった。メインの2試合が凡戦だったため、5回戦で目立ったのはやはり三沢であった。
 全試合が終了したのは20時半頃。客の多くはこれから水道橋駅近くの居酒屋で今日の試合を肴に一杯やるのだろう。オイラにはそんな仲間もいないし金もない。何より未成年だ。雑踏に紛れて帰宅した。
 月曜日。朝のロードワークの時に土曜の試合で観た三沢の動きを真似してみる。一瞬観ただけなので要領が分からない。動けば動くほどワケが分からなくなった。特に飛び込むときの動作とパンチが上手く連動しない。三沢はパンチを出しながら数メートルを瞬間移動していた。このステップワークが分からない。
 いつものように学校帰りにジムへ。練習が終わって帰り仕度していると中屋がやって来た。勿論練習ではない。挨拶とチケットの精算である。今回の試合は現金ではなくチケットで支払われた。中屋はそれを定時制の仲間に売って金にした。友人も増えたのだろう。デビュー戦の時よりも応援団が多かった。ファイトマネー分のチケットだけでは足らないので追加分を貰っていた。その分の精算である。追加チケットの何割が中屋の取り分になるのか知らないが、応援に来てくれる人が多いほど収入になる。仮にオイラがプロ選手だったとしても買ってくれる人はいないから収入にはならないだろう。
 駅までの帰り道。中屋と一緒になった。初勝利に中屋は本当に嬉しそうだった。次の試合は未定だが、ダメージはないのでなるべく早くやりたい、と宮田に頼んだそうだ。木村に続いて早く5回戦に上がりたい、と語っていた。木村の話が出たところでオイラは三沢の試合について尋ねてみた。マーキスの懐に入るときに見せた不思議な動き。走って中に入ったのは分かるのだが、走りながらパンチを出すコツが分からない。中屋はキックの他に格闘技全般の情報に詳しい。それに三沢の出稽古にも同行している。何か知っているのでは、と思ったのだ。
 格闘技博士の中屋はあっさり種明かしをしてくれた。あれは伝統空手の“追い突き” という技らしい。それを連続して使ってみせたのだ。コツは後ろ足で地面を蹴って飛び込むのではなく、前足の膝から下を少し引く。これは“膝抜き” と呼ばれる動作らしい。後ろ足で蹴って飛び込もうとすると、予備動作が大きくなるので相手の勘が鋭いと悟られてしまう。逆に膝抜きをして上体を前に倒れこむようにして飛び込んだ方が、動作が小さくなるため速く飛び込めるらしい。前に飛び込むために前足を後ろに引く。こんなやり方を初めて知った。前に倒れこみながらパンチを出す。三沢は右利きだから最初は右足が後ろになっている。左足の膝抜きをして前傾姿勢。右足を前に出しながら右ストレート。後ろになっている左足を前に出しながら左ストレート。これを繰り返してマーキスの懐に入ったのだ。伝統空手経験者の中屋は「上手く出来ないけど」 と前置きしてやってみせてくれた。ぎこちない動きだが、試合での三沢の動きに似ていた。
「伝統空手の試合でも相当な熟練者でないと使いこなせない技。グローブを付けたルールで、あそこまで完璧に使う人を初めて見た」 
 試合に勝った余韻が残っているのだろう。いつもは無口な中屋が饒舌に語ってくれた。理屈は分かったが、三沢は伝統空手の経験はないはず。どこでこんな打ち方を学んだのだろう。底の見えない人だ。
 次の日から、この膝抜きで飛び込みながらのワンツー連打をシャドーに取り入れるようになった。しかしセンスのないオイラに上手く出来るわけがない。無理に打とうとして何度か転んでしまった。見ていた佐々田に笑われた。

「やりたいことは分かる。だけどねぇ、普通に打ちなさい」

佐々田の言う通りかもしれない。下手に使うとカウンターを食いかねない。これは三沢にしか出来ない技だ。諦めた。