若い獣

 

5月5日にフィルムセンターで観た『若い獣』 。面白かった!! 原作は30数年前に読んだ事がある。短編である。

 ウェルター級のタイトル次期挑戦者決定戦に勝利した佐藤允。祝勝会で会長の川津清三郎の経営するキャバレーに連れて行かれる。そこで度の強いメガネをかけた薄気味悪いボーイを見かける。ボーイは久保明。元はランキングボクサーだった。若くて才能があった。トレーナーからは「お前(佐藤) よりも凄かった。」 
 久保明は現役時代フェザー級だったが、成長期で体が大きくなっていく。本人は階級を上げたいが、ジムには既にライト級で看板選手がいる。金儲け至上主義の会長はライト級に上がることを許さない。「練習不足だ。」 と一喝。無理な減量を強いる。
 久保明には恋人・団令子がいる。工場の女工だったが、派手好きで上昇志向が強く、会長が経営するキャバレーで働き出す。最初はシガレットガールだったが、若さと美貌に目をつけた会長の勧めでホステスになる。すっかり変わってしまった団令子は会長の愛人となり店を持つまでになる。
 久保明は過度な減量でリングに上がり、KO負け。記憶と視力と恋人を失くして再起不能。落ちぶれて会長のキャバレーのボーイとなる。ボーイとなった久保の姿は惨め。目が不自由なので廊下で転んでしまう。その姿を見ても団玲子は蔑んだまなざしで、手を貸してやる事もしない。
 祝勝会の夜、歌手の歌うマイクのコードで転倒、グラスで手を切ってしまったショックで記憶を取り戻した? 久保は制止するボーイたちを殴り飛ばし会長に詰め寄るが、青春は二度と戻らない。その姿を見た佐藤允は「あいつは負け犬だ。俺は負けない。俺は勝ち続ける。」 トレーナーと並んで夜の街に消えていく姿にエンドマーク。

 

                             

 

 格闘技選手の命は他の競技者に比べて短い。栄光もホンの一瞬のもの。それは宿命みたいなものだけど、ボクサーだけは他の格闘競技とは違う儚さを感じるのはオイラだけだろうか。現実にここまでヒドイ話はあるのか知らないけれど、この頃の石原慎太郎作品らしく悪意ムンムン。ボクシングシーンはフェザー級だから重量感は無いけれど、結構迫力があった。慎太郎本人もレフェリー役でチラリと出演。

 東宝は慎太郎という素人を監督に起用したため、助監督たちは反発したらしい。外部からこんなのが来たのでは、自分たちの監督昇進が遅れてしまうから当然の事。この映画の撮影時は現場で揉めたり、スタッフとのトラブルはなかったのだろうか? 現場の雰囲気が良かったとは思えない。そんな中で作ったのにピッタリの内容。緊張感があって後味は悪い(笑) 。
 久保明の芝居はデビュー時の加山雄三に似ている。演技指導は同じ人だったのかな。この『若い獣』 はネットで調べただけでも賛否両論。キネ旬の『日本映画作品全集』 では誉めていたが、失敗作、凡作と評する人もいる。ここまで評価が分かれるのも珍しい。悪く書く人は慎太郎を快く思ってはいない人なのだろう。原作脚本監督レフェリー役と一人で4役をこなした慎太郎はこの時26歳くらい。この頃は若くてギラギラしていた。そんなギラギラ感を感じる一篇。面白かった。

 

                             

 

 オイラは慎太郎はキライ。勿論個人的には知らない人だけど、闘争心が旺盛、暴君という感じがして好きにはなれない。おそらく売られた喧嘩は値切らず買う人なのだろう。そういう人は敵を作りやすい。行く先々で喧嘩に近い状況となるはず。勿論実社会でホントに喧嘩になるなんてコトはないんだけどネ。だからあの歳まで五体満足な体で生きてこられたのだろう。

 この人は『太陽の季節』 のデビューから、世間の良識派の人たちの反感を買ってきた。当時の雑誌で、太陽族を描いた映画は生徒には見せないように、PTA関係者が映画館の前で張り込んでいたという記事を読んだ事がある。風当たりはそれなりに強かったと思う。そういう空気と戦って生きてきた。撮影の時も、周囲の反発との戦いはあったはず。そういう状況でもこれだけの作品を作ってみせた。映画のラストでの佐藤允の「俺は負けない。勝ち続ける」 という台詞がこの人の人生を象徴している気がしてならない。

 政治家としての慎太郎はキライだが、作家としての実力をオイラは評価してマっス。でももうこの人にはこういう作品は作れないだろうな。これは若くなくちゃ書けないよ。