第19話  さすらいのテレビ局シリーズ
群馬テレビ(GTV)

 

GTV群馬テレビはJR前橋駅から北へ10キロ程走る、17号線沿いにあるTV局である。GTVは都内のオイラの家から遠いこともあり、他の関東U局の中ではとにかく映りが悪かった。何が映っているのか判らない時もあった。もう、どしゃぶりの雨状態。和田アキコの歌ではないが、♪私は泣いた〜♪であった。観る時は部屋の電気を消して、真っ暗な中で観ていた。この局で観た日活映画は数える程、1979年7月22日(日)『地獄の夜は真紅だぜ』、翌週29日(日)『俺たちの血が許さない』。他にも観たような気がするが記憶にない。

 

GTVでは80年前後、何曜日だか忘れたが夜、特撮TVドラマ『魔人ハンター・ミツルギ』(73年)を放送していた。『・・・ミツルギ』は江戸時代、宇宙からやってきた悪のサソリ軍団と戦うミツルギ一族の三兄弟(水木襄、佐久間亮、林由里)の活躍を描いた作品。特撮変身怪獣忍者時代劇とも言うべきヘンな作品で、三兄弟が合体変身して巨大神ミツルギとなりサソリ軍団の怪獣と戦う。ミツルギと怪獣の対決シーンは着ぐるみではなく珍しい人形アニメーションという野心作なのだが、時代劇で変身怪獣ものというのは無理があったのか、あまり面白くなくて12話で終わってしまった。本放送当時、裏番組ではフジテレビが当時の人気マンガ『荒野の少年イサム』をアニメ放送していたというのもイタかった。73年は怪獣モノも下火になりアニメが台頭してきた頃で当時小学生だったオイラのクラスでは皆、『・・・イサム』を観ていたが、オイラだけは密かに『・・・ミツルギ』を観てました。今もそうだが怪獣モノの夢は捨てられないよ。アニメなんかクソ食らえだ!!

 しかし群馬県というと、オイラには前橋よりも太田市の方が思い入れがある。日活映画とは関係ないが、オイラはバイクが好きだ。(女に乗れないからバイクに乗っている、というのもあるが・・・・)特にスクーターが好きだった。富士重工製・ラビット号、三菱製・シルバービジョン。ヤマハ・SC1にホンダ・ジュノオ等、50〜60年代国産スクーターが好きだった。昔のアメ車のように翼が生えているような感じ、流線型で丸みのあるデザインがグラマー女性を思わせて堪らなかった。欲しかったが当時20年近く前に製造中止となった絶版車など手に入るわけもなく、入ったとしてもパーツ供給が無理だから修理も間々ならない。メカに自信のないオイラではどうしようもない・・・・維持が無理だから諦めていた。そんな時に読んでいたバイク雑誌『ミスターバイク』で群馬県太田市の富士重工群馬工場近くにラビット専門のバイク屋があるという記事を見た。記事といっても2〜3行程度のもので詳細は判らない。でもこの店ではピカピカにレストアされたラビットが手に入る・・・・らしい。オイラはこの小記事を頼りに東武電車に飛び乗った。1983年春のことである。浅草から数時間かかって太田駅到着。10数分歩いて富士重工群馬工場正門にたどり着いた。目指すバイク屋はどこだ?工場の並びにバイク屋があった。店の名前はSモータースだったか?、もうよく憶えてない。店の前には数台のラビットが駐輪してある。「おぉ・・・ここかぁ!!」憧れのラビットスクーターが何台も並んでいる様は壮観だった。しかもどのスクーターもキチンと再塗装されてピカピカだ。このバイク屋だけは時間が60年代で止まってしまっているかのようだった。中で作業をしていた店主に値段を尋ねた。70歳近い感じの店主はラビット90ハイスーパーやラビットツーリング125が10〜20万、最高級モデル200スーパーフローが30万円と教えてくれた。同じ機種でも程度によって値段にバラツキがあった。心配していた部品も結構ストックしてあるらしいし、簡単な部品は店主が自分で作ってしまうそうだ。これなら壊れても何とかなるな。「しかしスーパーフローは30万かぁ。」・・・さすがに高いや。90ハイスーパーは68年型、ラビット最終モデルで歴代機種の中では取り回しが良く、扱いやすい傑作という評判のモデルだ。しかし68年型ということは昭和43年。デザインに30年代っぽさがないのであまり魅力が感じられなかった、ということは63年〜64年?モデルのツーリング125だな。諸経費込みで約20万円欲しい。仕方がない・・・・バイトするかぁ。怠け者のオイラにはキツイ作業だが、夢を実現させるためには働いて金を作るしかない。東京に戻り、書店で今は亡き雑誌『アルバイトニュース』を買った。頭と要領の悪いオイラに出来るのは単調な軽作業員しかない。結局、赤羽の大×本製本での日当4500円(だったかなぁ。)のバイトにありついた。内容はAM8時半〜PM5時半、製本助手&梱包作業である。ちょうど学校も春休みだったから毎日働いた。1ヶ月〜2ヶ月ほどバイトして20万円作った。その20万を懐にオイラは再び、太田市へ行った。店にあったラビットの中でオイラが選んだのはツーリング125、価格は13万円だった。他の125はもう少し高かったのだが、これは事故車だったので安くしているのだそうだ。事故車といっても見たところ問題なさそうな感じだった。鉄板ボディに少しヒビが入っていたものを店主が補強修理したそうだ。昔気質な感じの店主が「大丈夫。」と言っていたので信じてみようと思い、これに決めた。諸経費込みで15〜16万くらいだったかなぁ・・・もうよく憶えていない。金を払い、ナンバー登録に必要な書類を受け取りその日は引き上げた。太田市のバイク屋では東京ナンバー取得は無理だもんネ。書類とハンコ(だったかな?)を持って区役所に行き、ナンバーを貰って来た。
 数日後、ナンバーとヘルメットを持って太田市へ・・・いよいよ憧れのラビットスクーターが手に入る。夢が実現する。もうウキウキである。店に行くとオイラの!オイラのラビットが店の中で整備されて鎮座していた。ウォ〜・・・イカしてるぜ!!店主がナンバーを付けてくれた。保険証書等を貰い、使い方の説明を受ける。燃料は現在では珍しい混合式。ガソリンとオイルの比率が50:1だったか、20:1だったか?これももう憶えていない。3速ギアが付いているがべスパと同じグリップチェンジ式だ。たしかクラッチは2200回転?くらいの低い回転数でミートする、半オートマチックみたいなのでエンストはしない、現在でも通用しそうな非常に良く出来たシステムだ。でも鉄板ボディだから現在のスクーターと違って重いよ。おそらく乾燥重量で120キロくらいあったのではないかな?そんな重量級ボディだから125ccとはいえ遅かった。現在の原付スクーターにも負けるのではないかなぁ。巨大なボディなのにメットインでもないしね。この日は太田市から都内の自宅まで自走して来たのだが、さすが新品同様??、快調だった。125ccだから高速道路は使えない。17号線をノンビリ走って帰ってきました。走りながらスクーターに乗ったヒーローNo.1『少年ジェット』の歌を口ずさんでました。他には『海底人8823(はやぶさ)』の歌も歌ったナァ。(『・・・8823』では8823に協力する少年がラビットマイナー号に乗っていた。)でもピカピカのラビットスクーターは珍しいせいか、街中では目立ってしまって困ったよ。信号待ちしていると年輩の男性から「懐かしいネェ。」なんて声をかけられたりした。オイラは目立つの嫌いだから、これには閉口したナ。

←これがオイラの思い出のラビットツーリング125 もう動きません。買った当時は足代わりに頻繁に乗っていました。83年の8月に三浦半島の方を走ったのが唯一の遠乗り。クソ暑い日でたしか最高気温37度の炎天下に独りで当てもなく走って来ました。海パンも無いから海に足だけ浸かって、帰りに横浜駅ビル内の本屋で立ち読み(オイオイ)して帰ってきたというそれだけの旅?でした。しかし調子が良かったのはここまで。しばらくするとエンジンを噴かしていないと止まるようになってしまった。自分では直す事は出来ないから、SモータースにTEL。アクセルさえ噴かしていれば止まらないので、自走して太田市まで持っていった。

 

店主の話しだとヒューズボックスが腐っていたらしい・・・・腐った部品なんて付けとくなよ。そう思ったが気の弱いオイラにそんなクレーム付けられる訳も無い。素直に修理代を払って直してもらった。だが一難去ってまた一難。1年ほど調子が良かったが、今度はライトを付けるとエンジンが止まるようになってしまった。オイラは再びSモータースにTELした。店主が出ると思ったら若い感じの男性が出た。息子さんのようだった。オイラは「ラビットの調子が悪いので店主に直して欲しいのですが・・・。」と言った。息子さんらしい男性はこう言った。
「父は亡くなりました。販売はしていませんが、修理なら出来ます。」
店主とは別に親しい訳でもなかったけど、ちょっとショックだった。高齢だと思ったが、亡くなったとは!!オイラは思わぬ事に混乱してしまって、正式に修理の依頼もせずに電話を切った。何となく修理に出しそびれてしまった・・・・そのまま数年が過ぎた。廃車届けを出さなかったので、毎年税金取られてたナ。87〜88年頃にようやく廃車した。車庫の片隅でガラクタに埋もれて眠っている。捨てれば良いのだが、何となく捨てられなかった。捨ててしまうと夢までも捨ててしまうような気がしたからだ。今回これを書くのに、ガラクタをどけて引っ張り出した。埃にまみれてボロボロだったが、写真を撮るので少し水洗いした。それが上の写真デス。

 今回、GTV撮影のために前橋に行った。高速道路をオートバイで快調に飛ばして行きました。前橋での撮影後、オイラは太田市へ行きました。思い出のSモータース・・・・・今はどうなっているのだろう。Sモータース。もう無かったです。いや正確にはありました。たしかにあの時の場所にバイク屋はあったけど、店の名前も違うし普通のバイク屋になってました。店主も亡くなったし、あれから20年近く経っているのだからラビットのラの字もない。そんなものを扱っていたという片鱗すらなかった。あの時電話に出た息子さんがやっているのかナ。ちょっとサビシイ気もしたけど、オイラにとっての思い出は消えないよ。Sモータースよ、永遠なれ!!

 今回は日活映画や群馬テレビとは関係の無い話しに終始してしまったけど、群馬と言うとラビットです。オイラの家の周囲は高い建物ばかりになったせいか、群馬テレビも現在では全く受信出来なくなりました。昔は新聞の都内版のテレビ欄にも番組表が掲載されてたけど、現在は載っていない・・・・・・・・サビシイね。

 

群馬テレビ(GTV)詳細データ
オフィシャルHP参照