第17話
影なき声

 

 いつかも書いたがオイラの部屋の電話が鳴る事は滅多に無い。友達とかいないからね。かかってくるとしたら勧誘やセールスの類。実はセールスでヒドイ目にあった事があるのヨ。
 あれは学生時代だから80年代半ば頃のことだった。そろそろ就職とか考えないといけない時期だった。働くのは大キライだが背に腹は変えられない。何とかしないとな、とは思っていた。オイラが通っていたのは三流学校だったし成績も最悪だ。モヤシっ子だったから運動なんて全くダメ。普通、どんな人間でも一つや二つは取り柄という物があるものだが、オイラの場合は見事と言うくらい何も無かった。やりたい事もないし就きたい職業も無い。将来の夢とか展望なんて無かった。だから就職もどうすれば良いか考えてはいなかった。
 そんなある日の夕方、オイラの部屋の電話が鳴った。滅多に鳴らない電話が鳴ったので出てみた。「もしもし、GUTSさんですか?」何と女の声だった!今から考えると、戸田恵子似の鼻にかかった感じだったかなぁ。戸田恵子といってもアンパンマンの声色じゃないよ。『Xファイル』のスカリー捜査官みたいなインテリ風の声だった。女からかかってくるなんて初めての事だし、喋ったのも何年ぶりかな。緊張したしビビった。でも電話とはいえ女の匂いを嗅ぎたかったオイラは切る事も出来ずに話を聞いてしまった。「そろそろ就職だと思うけど調子はどう?」というような質問から始まって世間話や学校の話とかをした。相手が女とはいえ流石に最初は警戒していたのだが、スカリー捜査官風の声の感じはキレイでしっかり者のお姉さんを思わせた。童貞で小学校5年生の時から女と会話したことのないオイラはすっかり相手のペースに乗せられてしまっていた。当時は今以上にウブだったから仕方が無い。
 「就職に関するとっても良いお話があるの。」15分くらい話をした頃、スカリー捜査官はそう言った。今の自分が気にしている事を言われてギクっとした。結局、週末の午後に会う約束をさせられた。会うと言っても場所は彼女の会社。西新宿の高層ビルの中であった。会社名はたしか『ア○×△ク』だったかな。
 でもこのスカリー捜査官は最後に嫌な事を言った。「私も貴方と会うために時間を空けるのだから必ず来るようにネ。貴方ももう大学生なのだから約束は必ず守るように。これは社会人としての常識よ。」そんな事を言われなくても約束は守るよ。その時はそう思ったが、実はこの台詞は奴らの常套句だったのだ!
 そして土曜日、オイラは約束通り指定された会社に行った。受付で名前を告げると窓際にある打ち合わせコーナーに通された。ここには机が幾つも置いてあって、会社の人間と思われる奴らが大学生風の若者と話をしていた。おそらくオイラと同じように電話で呼び出されたのだろう。椅子に座るとすぐに後ろから「お待たせしました。」という声がした。振りかえると30歳くらいのホスト風の男が立っていた。おいおいスカリー捜査官はどうしたんだよ?納得出来ないオイラにお構いなくホスト野郎は話を始めた。
 就職の話かと思ったら何と!英会話教材のセールスだった。それも現在では絶滅しようというレーザーディスクを使った教材だった。
 最初にも書いたがオイラは勉強出来ないから当然、英語なんて全く喋れない。「これから就職するのだから英語くらいは常識です!」そう言い切られた。そういえばクラスの奴で英会話スクールに通っている奴がいたな。「そうでしょう。これからは英語くらい喋れなければ何も出来ません!」またまた言い切られた。でもオイラは金無いよ。「大丈夫!アルバイトを世話します。」ああ言えばこう言うという感じで逃げられそうもなかった。2〜3時間はガマンしてOKしなかったと思う。ふと周囲を見ると来た時はいた連中は誰もいなかった。他の大学生風の連中は何と言って切りぬけたのか?それとも買ってしまったのか?オイラの気の弱い言い逃ればかりする態度からもう一押しすれば落ちると思ったのだろう。ホスト野郎の先輩と名乗る社員が乱入してきた。中野英雄のような小太りした押しの強そうな奴だった。
 中野英雄は「どうですか?我々を信じてやってみませんか?」と言った。もうOKしなければ帰してもらえそうも無い雰囲気だった。人一倍臆病なオイラはビビってしまった。
そして仕方なくOKしてしまった。
 すぐにローンが組まれ申込書が出された。観念したオイラはサインしてしまった。そして見本のレーザーディスクを一枚持たされた。ようやく解放されるかと思いきや、会社のフロアに通された。中野英雄はそのフロアでデカイ声で「皆さん、今日お買い上げ頂いたGUTSさんです」と叫んだ。フロアにいた30人〜40人くらいの社員たちから「有り難うございます。」「頑張りましょう。」という声援と嵐のような拍手が起こった。そしてフロアの責任者と思われる中年男が出てきた。色黒で身長180センチ以上のプロレスラーのようなガタイの大男だった。
「頑張りましょう。」と言われ握手を求められた。グローブのような大きな手だった。威圧感があった。こんな大きな拳で殴られたら貧弱なオイラでは死んでしまうヨ。
 その日はこれで解放された。外に出るとあたりは薄暗くなっていた。部屋に帰ってきて落ち着くと金も無いのに組まれたローンを考えて怖くなった。信販会社の申込書を見るとクーリングオフの事が書いてあった。文字が小さいし難解な文面なのだがキャンセルが可能らしい。オイラは申込書に書かれた番号にTELして何とか解約をする事に成功した。
 ホッとしたが見本で貰ったレーザーディスクはどうしよう?そのまま放っておけば良いのだろうが、バカ正直なオイラは『ア○×△ク』に電話してしまった。キャンセルした旨を伝えると電話に出た女子社員がキツイ声で「キャンセルしてしまったのならお渡しした見本のレーザーディスクを返してください。」と言った。「わかりました。お返しします」と言うとその女子社員はこう言った。「貴方ももう大学生なのだから約束は必ず守るように。これは社会人としての常識よ!」どこかで聞いた台詞だな。これは最初にスカリー捜査官に言われた台詞だ。つまりセールストークのマニュアルみたいなのがあって決め台詞に使うように指示されているのだろう。こう言われると生真面目な大学生はコロっと騙されるのだろうナ。
 月曜日の朝、学校をサボってオイラはレーザーディスクを持って西新宿のビルに行った。名前を告げると会議室に通され先のプロレスラーのようなガタイの男が入ってきた。男はオイラの貧弱な体躯を見て鼻でフンっと笑った。明らかにオイラをバカにした態度だ。
「お前なんかいつでも殺れるんだ。」という感じだった。
 それから延々と説教された。「君がクーリングオフしたために何人の人間が迷惑したと思っているんだ。昨日、君と話をした者の責任になるんだよ。大学生になってそういう事がわからないのか!」オイラはもう恐ろしくてスイマセン、スイマセンと謝りまくった。「やりなさい。今からでも遅くないよ、やりなさい。」と何度も言われた。オイラは土下座して許しを乞うたよ。
「何もそこまで!」と思うかもしれないが、あの時はもうとにかく怖かった。そんなオイラの卑屈で惨めな姿に満足したのか?「じゃあもう良いよ。」と言って会議室から出て行ってしまった。時計を見ると時間は11時半を過ぎていた。おそらく奴は腹が減ったのだろう。それで解放してくれたのではないかな?10時頃から説教されたから一時間半は責められていた事になる。考えてみれば暇な野郎だ。でもとにかくこれで終わった。助かった。
 おそらくあのスカリー声の女はオイラのような世間知らずの大学生を釣るエサだったのだろう。気の弱い学生はあの声に釣られてやって来て断りきれずに教材を買わされてしまう。ありがちなパターンだが口惜しい。

 今から考えればあそこまで卑屈な態度で許しを乞うことなど無かったのだが、当時のオイラは今以上にヘタレだった。今は世の中に真実など無いし人間に誠意は無い事が多少は理解できている。しかも自分が弱いオタクだと言うことも自覚しているから知らない番号からの電話には一切出ない。勧誘されたら断る自信がないからね。オイラのような社会性のないチキン野郎が都会で生きていくにはこういう自己防衛が必要だ。

 数年後、日本経済新聞を見たらこの問題の会社『ア○×△ク』が倒産したという記事を見つけた。記事と言っても隅っこの小さなもの。普段は真面目に新聞など読まないので本当に偶然であった。ザマアミロ!!