第9録
白川和子トークイベント
6月4日土曜日はラピュタ阿佐ヶ谷、『60年代まぼろしの官能女優たちU』 、この夜は白川和子出演の『ハレンチ娘 肌のもつれ』 。上映終了後、白川和子さんのトークショー。1号機で出撃! 11時10分にチケット購入。17番だった。
今回は遅れないように気をつけなければ、というわけで20時40分にラピュタ着。予想通り混雑していた。ロビーではモノホンの白川和子さんがテーブル席に座っておられた。『昭和桃色映画館』 購入客にサインをしていた。60歳過ぎているとはいえ、さすがは女優さん。キレイだねぇ。テーブルの上にはこの映画に主演の野上正義さんの遺影が飾られていた。映画の方は青春市街戦参照。
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上映終了後、おまちかねの白川和子さんのトークショー。スタートは22時15分頃から。63歳という事だが、50歳くらいにしか見えない。ロビーでサインをされていた時に後姿を拝観、うなじがキレイでした(失礼!) 。インタビュアーはいつもの鈴木義昭氏。
「この作品の事は全く憶えていません。ピンク映画は衣装も自分で揃えなければならないのですが、それすらも記憶にないです。」
鈴木氏が今回のトークショーの出演交渉したのは、白川さんが『デンデラ』 撮影で冬山から帰ってきたばかり。そのときは冬山ロケで体調を崩していて、出演できるか分からない状態だったらしい。現在はすっかり復調。普段はトークショーの時間(22時) はもう寝る時間らしいが、今回上映作品は記憶にないことから、ご本人も観たいと思ってやって来たそうだ。
今回の作品に関しては、
「成人映画って言うのは製作費も少なくて、でも頑張って撮っていました。でも(殺したのは) お爺さんだったなんてねぇ(笑) 。」
現在の白川さんには二人の小学生の孫がいるらしい。
「高学年の子は(ピンク女優だった事を) 分かっているのですが、低学年の子は分からないらしくて、先日ヌード写真を見つかってしまい「お祖母ちゃん、何やっているの! 」
と怒られました。」
高校時代は演劇部。市原悦子に憧れて女優になりたかった。女子大時代に池袋でスカウトされた。
「今から考えるとインチキプロダクションだったんですかねぇ(笑) 。白川和子という名前もそこのオジサンが付けてくれた。」
デビュー後は、三島由紀夫や今村昌平など、色々な人との出会いあって幸せだったと語る。
「ガミさん(野上正義) とは兄弟のような付き合いだった。映画のラブシーンもそんな信頼関係があったから演じる事が出来た。」
監督の佐々木元は色の白いハンサムな人で、白川さんはこの人の作品には結構出ているらしい。鈴木氏の話では74年には監督を引退。藤沢、その後は鎌倉で酒場を経営していたらしい。平成9年に亡くなられた。撮影はアフレコなので、濡れ場シーンの撮影では監督の声が頻繁に飛んでいたそうだ。
印象に残っているのはデビュー作の向井寛監督の『女子寮』 。山本晋也監督からは濡れ場シーンの撮影で毛糸のパンツを穿いていたら「色気がない」 と怒られた。200本近い作品に出ているので何が何だか覚えていない。(今回上映作品の) ラストでの羽田のシーンも記憶がない。
「タイトルに「ハレンチ娘」 なんて付いているけど、別にハレンチじゃないのに(笑) 。ピンク映画に出て、当時住んでいた団地で署名運動起こされて追い出されそうになったり、妹の結婚が破談になったり、子供が苛められたり、辛い部分がありました。家族には申し訳ない事をしたけれど、63歳になった今「やって良かった」 と思っています。結婚して一時引退して、カムバッグするとき周囲から名前を変えたほうが良い、と言われました。でも白川和子という名前があるからやってこれた。この名前に誇りを持っています。」
「香取環さんには妹みたいに可愛がってもらった。いろいろな所に連れて行ってもらった。野上さんと香取さん、(会場に来ていた) 久保新二さんにはお世話になった。」
今回の上映最後の作品、小林悟監督の『不能者』 に白川さんはノークレジットで出ているらしい。本人は全く記憶がない。鈴木氏曰く、「アッと驚く登場をしています。」 と宣伝してトークショーは22時45分頃に終了。
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会場を出たオイラはまっすぐ帰宅。ホントはラーメン食べたかったけど、食べると次の日後悔することになる。気を抜くと体重が元に戻ってしまう。いや、もう元に戻りかけているので、ここは我慢の子であった。
この日も乗り次ぎが良くすんなり。
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