洲崎パラダイス赤信号(56年白黒作品、脚本・井出俊郎 寺田信義、監督・川島雄三)
 江東区の遊郭、洲崎パラダイス(現在の東陽1丁目近辺)にやってきた男と女(三橋達也、新珠三千代)がくっついたり離れたり、最後は当ても無いのに洲崎パラダイスを去っていくまでを淡々と描いた川島雄三監督の傑作。新珠の働く飲み屋の女将に轟夕紀子、新珠に言い寄る電気屋の社長に川津清三郎、三橋の働く食堂の店員に芦川いづみがそれぞれ扮した。他には小沢昭一、牧真介、植村謙二郎が出ていた。ガタイは良いが気が弱く甲斐性のない三橋と、生活力溢れる逞しい新珠との頼りない関係は観ていて非常に面白い。川島雄三という人は本当に天才だったのだと思う。もっと評価されても良い監督だ。
 この作品は58年の売春防止法施行前に製作された作品。56年当時の赤線の風景が垣間見れる。三橋と新珠の好演も素晴らしいが、女店員役の芦川いづみが良い。頼りない三橋の面倒を見てくれる姿ははまり過ぎ。どう考えても新珠よりも芦川の方が良い女だと思うのだが、新珠と行ってしまうのだから男と女の関係は分からないものだ。
(2001年3月6日記)

        素ッ裸の年令(59年白黒作品 脚本・寺田信義、鈴木清順 監督・鈴木清順 主演・赤木圭一郎)
 貧しい家庭の中学生のサブ(藤巻三郎)はある日、街を走るオートバイを羨望のまなざしで見ていると、ハイティーン(10代後半の不良の俗称?)のケン(赤木)に声をかけられる。赤木はローティーン(10代前半までの不良の俗称?)たちのグループのリーダーであった。サブは赤木との出会いをきっかけにこのグループの仲間に入る。このグループは盗んだオートバイで賭けレースをしたり、赤電話(懐かしい!!)荒らしをしたりして金を稼いでいるのだが、その稼ぎは役割や年齢に関係無く、全て均等に分け与えるという共産主義で成り立っている。19歳の赤木は20歳の誕生日までに船員になりたいという希望を抱いている。もちろん商船学校を出ていない赤木には船員になる資格はない。そこで赤木は自分たちのグループの悪行をタブロイド新聞の記者、高原駿雄に『ローティーンやくざの実態』としてスクープさせ、その見かえりに船員の仕事を斡旋してもらおうとする。もちろん船員の仕事など最初から有るわけはなく、赤木は高原にダマされてしまう。赤木は船員の夢が破れた時、恋人でグループの仲間の堀恭子に「二十歳までに独立しなきゃ、俺の人生が挫折する。」と言い出し、唐突に「独立するには100万円いる!」と言いだす。そしてグループの少年たちと暴力団の武器をトラックで密輸送する仕事をして100万円を作る。しかし赤木はいつものように均等に山分けせずに、100万円の大半を自分がとってしまう。そしてグループや堀恭子を捨てて、田舎に帰ろうとする。その事をサブになじられた赤木は、「腕で取ってみろ!」とオートバイレースをして勝つのだが、ハンドル操作を誤り崖から転落死する。
 この映画の主役は赤木だが、ストーリーはサブの視点で描かれている。だから実質的な主役はサブである。貧乏というだけで学校や近所で肩身の狭い思いをしたり、思春期の少年にありがちな年上の女性、堀恭子への片思いなどが淡々と描かれる。この映画の赤木は自分の作ったルールを自分で破り、そして破滅した。しかし破滅型の青春映画でありながら、そこは鈴木清順である。どこかホノボノとした味わいも見せている変な映画。この映画は裕次郎映画の添え物作品のため上映時間が53分と中途半端である。そのためビデオ化されるまで、なかなか鑑賞の機会がなかった。また良く言われることだが、ラストの赤木のバイクレースでの死は現実の赤木の死を連想させる。それだけでも記録に値する一編である。
(2000年11月25日記)

        砂の上の植物群(64年 95分パートカラー 脚本・池田一朗、加藤彰、中平康 監督・中平康)
 伊木一郎(仲谷昇)は37歳、職業は化粧品のセールスマン。ある夜、横浜マリンタワーの展望台で真っ赤な口紅をつけた高校生・津上明子(西尾三枝子@新人の表記あり)と出会う。「酒を飲みにいきたい。」という西尾と酒場に行き、ホテルへ行きベッドイン。西尾は処女だった。仲谷は西尾からホステスをしている姉・京子(稲野和子)を誘惑して「ひどい目にあわせて欲しいの。」と頼まれる。稲野はホステスをしているのに自分には純潔を求めるのに我慢できなかった。あまり乗り気のしない仲谷だったが依頼どおり誘惑、ホテルへ行く。稲野はM女だった。体中に縛られたり、傷をつけられた跡があった。仲谷のS心に火が点いた。以来、二人は定期的に関係を続けることになる。そのプレイはライトSMと言うべきものだった。仲谷は「他の男と寝たのか?」と言葉責めすると稲野は興奮して手首を紐で縛る事を要求、稲野を拘束しながらのプレイに仲谷は堕ちていく。また西尾のセーラー服姿に欲情した仲谷は西尾をホテルに誘い西尾とも関係を続けたり、西尾のセーラー服を稲野に着せてのコスプレプレイも楽しんだりもする。仲谷の父は34歳の若さで他界していた。この時、仲谷は14歳。仲谷の妻・江美子(島崎雪子)は幼なじみだったが、仲谷は遊び人だった父親と関係があったのでは?と疑っていた。父の旧友で行きつけの床屋の主人・山田(信欣三)に尋ねても一笑に伏せられる。ある日、仲谷は信から父親には京子という隠し子がいたことを打ち明けられる。京子という名前から稲野では?という疑念を持つ仲谷。混乱した仲谷は稲野としけこんだホテルに西尾を連れ込み、西尾の目の前で稲野を犯す。そしてセーラー服姿の西尾に口紅を塗りたくり犯す。段々と壊れて行く仲谷。しかし信の調査で父の隠し子の京子は亡くなっていたことが分かる。稲野ではなかった事が分かりホッとする仲谷。仲谷は謝罪の意味も込めて稲野のマンションを尋ねる。西尾の目前で稲野を犯した事から西尾は家を出て行方不明となっていた。仲谷は稲野と海沿いのレストランへ食事に行く。二人だけで食事をしていたはずなのに、ふと気が付くと満員。あわてた仲谷は稲野の手を取ってエレベータに乗り込む。各階停車の無人のエレベータの中で接吻する二人。各階に停車するのだが人がいたのは最初のレストランの階のみ。あとは無人のフロア、という抽象的な映像でエンド。
 感想としては一体何が言いたかったのか?よく分からない作品。父親の年齢を追い越した息子・仲谷。劇中、何度か鏡に映った自分を父親に見立てて語りかけるシーンがあったりするが、一体どんな意味があったのか?原作を読まないとダメかもしれないが、語り口にソツがないので一気に観られる。原作は吉行淳之介の同名小説。カラ−部分は作品のイメージとなったパウル・クレーの絵のみ。これがどこかオカルトチックな雰囲気を出していた。しかし西尾三枝子はメンコイし、ラストのエレベータのシーンは印象に残る。
(2002年6月11日記)

        すべてが狂ってる(60年白黒、脚本・星川星司、監督・鈴木清順)
次郎(川地民夫)は保険外交員をしている母親(奈良岡朋子)と二人暮し。奈良岡は大会社の重役・芦田伸介の世話になっていた。芦田は奈良岡に対して誠実で、敵意むき出しの川地に対しても暖かく接している。しかし芦田に反発した川地は芦田を暴行、大怪我をさせ恋人・禰津良子と盗んだ車で逃走。ダンプに激突して死ぬまでを軽快なモダンジャズに乗せて描いた破滅型青春映画。サイドストーリーとして川地が関係している不良グループの日常が描かれる。連れ込み旅館から出てきたカップルを恐喝したり、盗んだ車をブローカー・柳瀬志郎に売って処分したりする。グループの一人、女子大生・悦子(中川姿子)が同棲している苦学生・上野山功一との子を妊娠。中絶費用を工面しようと芦田に体を売ろうとするが失敗、階段から落ちて流産した所でエンド。出演は他にグループがたむろするスナックのママに宮城千賀子、常連客の新聞記者に穂積隆信。当時新人だった吉永小百合が顔見世程度で出演している。(会社に頼まれて出したのだそうだ。)この時期、流行ったヌーベルバーグ映画の影響を受けた作品・・・・というよりも大島渚監督の『青春残酷物語』の真似をした感じのもの。手持ちカメラで撮影した60年当時の新宿の風景や風俗が垣間見れるのは資料映像として貴重。映画の序盤は設定や相関関係を説明するのに忙しくストーリーに入り込みにくいが、中盤以降はテンポも早くなかなか面白い。しかし川地がグレテいる理由が母親を援助している芦田への反発というのが何とも子供っぽい。ビジネスライクに同棲している中川と上野山の関係も当時としては斬新だったのだろうが今観ると陳腐だ。ヒロインの禰津良子はモデル出身で本作がデビュー作。清順監督お気に入りの女優さん、この後2〜3本の映画出演をしただけで引退。現在は某映画会社の社長夫人だそうだ。
(2001年4月14日記)

        スラバヤ殿下Prince Soerabaja(55年86分白黒 原作・菊田一夫 脚色・柳沢類寿 監督・佐藤武)
 
長曽我部久太郎(森繁久
彌)は世界的な原子物理学者。その発明は各国のスパイたちが狙っている。久太郎は外国から帰る飛行機で歌手・真野かほる(丹下キヨ子)と知り合う。かほるは学者フェチ?久太郎のファンのようだ。久太郎には弟・永二(森繁・二役)がいた。永二はペテン師で南国の島で女酋長(天津くるみ)と酒池肉林の暮らしをしていたのだが不法滞在が見つかって強制送還される。貨物船に乗せられて帰って来るのだがビキニ海域を通過中に雨が降ってくる。それを見て新たなペテンを思いつく。久太郎の研究所と紛らわしい名前の‘長曽我部研究所’を作り放射能の雨をろ過。放射能万能薬と称し久太郎の名前を使って売り出す。ところが研究所の工場で雇った工員(高品格、宍戸錠、他)たちが給料未払いでストライキを起こしてしまう。困った永二は久太郎の家に無心に行く。久太郎の家には久太郎の他、婆や・おきん(飯田蝶子)とその孫娘・なほえ(馬渕晴子・新人)がいた。なほえは永二が亡くなったおきんの娘をはらませて出来た子だった。なほえはこの事を知らない。久太郎が父親代わりを務めて来たのだった。無心に行った永二だがおきんとなほえに追い返されてしまう。そこへA国のスパイ・ジョウ(有島一郎)に声をかけられる。ジョウは永二を久太郎と間違えたのだ。ジョウは永二のカバンに発明の書類が入っていると思い込み売って欲しいと言って来たのだ。喫茶店で商談しているとB国のスパイ・ズルコフ(千葉信男)が割り込んでくる。永二は二人を競わせて値段を吊り上げる。結局50万円でズルコフに売りつける事に成功する。カバンを開けられるとペテンがバレるので「時限爆弾が付いている。6時まで開けない事。」と言ってその場を立ち去る。6時にカバンを開けたズルコフだが中から出てきたのはインチキ万能薬のチラシ。騙された事に気づいたズルコフは怒ってカバンを投げ捨てる。それを拾ったジョウ。二人とも永二に騙されたことに気づくのであった。永二はズルコフから巻き上げた金を持って工場に戻る。50万のうち10万円を懐に入れ残りを工員たちに分けて急場をしのぐ。さらに永二は田舎町にやって来る。久太郎の名前を騙ってウランのサンプル(勿論インチキ!)を売り付けてウラニュウムが出れば一攫千金になると言って町民から金を騙し取る。騙された事に気づいた町民たちが東京へ乗り込んで来る。ナイトクラブで久太郎はかほると番組プロデューサー・谷川(三島雅夫)と飲んでいる所に偶然、町民に追われた永二が逃げこんで来る。そこへジョウとズルコフも乱入。クラブの中は大騒ぎとなってしまう。久太郎の手引きで何とか逃げることが出来た永二だがもう日本にはいられないと悟り南国に帰ろうとする。そんな時、南方からいかだに乗ったスラバヤ殿下と名乗る黒人が流れ着く。ユニークで謎の言葉を喋るスラバヤ殿下はマスコミの寵児に祭り上げられてしまう。TVでスラバヤ殿下を観た久太郎は驚く。それは黒人に変装した永二だったのだ。永二は殿下になりすませば南国に強制送還されると考えたのだった。かほるも殿下の正体に気づいていた。マスコミも永二の正体を疑いだす。そこでマスコミは南国の留学生(三木のり平)に正体を確かめさせようとする。ところが何故か永二のインチキな外国語がのり平には通じてしまう。のり平は永二の事を「間違いなくスラバヤ殿下。」とマスコミに太鼓判を押す。人気者のスラバヤ殿下はミュージカルショー?に主演する事になる。ダンサー志望のなほえ、かほるも共演が決まりレッスンが始まる。殿下が永二で実は自分の父である事を知らないなほえだが徐々に殿下に惹かれだす。娘と一緒に居られる事を密かに喜ぶ永二。ショー当日、騙された恨みのあるジョウとズルコフがショー会場に乗り込んでくる。それに気づいた久太郎の助手・美山みどり(島秋子)が警察に通報。警官たちが張り込む。自分を捕まえに来たのかと誤解した永二は楽屋から逃げようとする。久太郎は永二の代わりにショーに出て時間稼ぎしようと黒人の扮装をする。そこへ思い直した永二が戻ってくる。更にかほると谷川、のり平がやって来る。谷川はスラバヤ殿下が永二だと知っていたのだが、面白いアイディアだったのでのり平を留学生に仕立て殿下は本物とマスコミ操作したのだった。ミュージカルショーは予定通り行われ大成功となる。仕事に失敗したジョウはB国に、ズルコフはA国に亡命。そして殿下=永二は飛行機で南国に帰って行くのであった。
 スラバヤ殿下というペテンに世間やマスコミが引っ掛かってしまうのはどう考えても変なのだが、喜劇として割り切って観れば結構楽しめる。何より森繁が一人3役、おまけにショーのシーンでは歌い踊りまくるという珍品。有島一郎や千葉信男とのドタバタはあまり笑えないが、三木のり平との外国語でのやり取りやショーのシーンは一見の価値あり!!しかし日活映画なのに三木のり平や有島一郎が出ているのはどうして??
(2003年5月23日記)


        ずらり俺たちゃ用心棒(61年、脚本・柏木和彦、千野皓司、監督・松尾昭典)
城戸禮原作の『拳銃街を行く男』を映画化。舞台は岐阜。ここでは金子信雄と内田良平の組が対立している。そこへやってきた流れ者の拳銃使い・竜崎四郎(二谷英明)。二谷は金子組に雇われるが内田の組に金子組の情報を流し共倒れさせる。二谷の正体は刑事だったのだ。二谷に協力する金子組のチンピラに川地民夫。内田組の地上げにあい殺されてしまうビリヤード店の店主に河上信夫、その甥に和田浩治。金子の経営するキャバレーのマダムに南田洋子。金子組のお抱え医者に大坂志朗。大坂の娘で和田の恋人に当時新人だった和泉雅子が扮した。南田はかつて父親を殺した金子信雄を追って岐阜に来て、大坂の紹介でマダムになったという設定があるのだが、あまりストーリーには生かされてはいない。映画の出来も平凡。しかし二谷は主演スターとしては短命だった事を考えると貴重な作品。(2001年1月28日記)