特攻野郎JOA

 

2007年5月に東映チャンネルで放送した最後の特攻隊(1970)壮烈神風特攻隊(1954)を観た。

 小川真詮氏のご好意で『軍歌と日本人』 執筆スタッフに入れてもらった際、丁度放送していたから参考になれば、という調子で録画しておいたのだ。結局書いていた時は観ている時間がなくて、今になってしまった。その他、5月以降に録画したヤクザ映画から歌謡映画、特撮モノと溜まっている。ドンドン行かなくては追いつけない。

 しかし戦争映画ってのはどれも後味は悪い。登場人物の多くは犬死のような形で死んでしまう。戦争は嫌だが、今さら「戦争反対」 などという型どおりのお題目を唱えるつもりはないし、良い人ぶるつもりもない。当時の国際状況等、難しい事も分からない。
 オイラは勉強できなかったので何がどう悪いのか? よー分からん。はっきり言って、誰と誰が立ち会ってどちらが勝とうが関係ない。どこの国と国が争って何人くたばろうが、知った事ではない。 何が嫌なのかと言えば、自分や自分の家族(オイラの場合はオフクロだけだ)が死んだり、自分の家や財産がなくなってしまうことが怖いのだ。これは戦争だけでなくて火事や地震も同じ。

 今回観た二本もなぁ、登場した特攻隊員たちの家庭状況等が挿入される。定石だが必ず母親が絡んでくる。『最後の・・・』では隊員の渡辺篤志が脱走。母親のところに逃げてくる。母一人子一人、自分が死んだら老いた母親が一人になってしまう。

「どこか山の中に隠れて二人で暮らそう。」

 しかし母親の笠置シヅ子は気丈に追い返す。絶望して首を吊ろうとするが、上官の鶴田浩二に見つかる。脱走は重罪だが、自分から戻った事にして隊に連れ帰る。 その後基地が空爆される。零戦に火がつく。このままでは他の機に誘爆して犠牲者が出てしまう。誘爆を防ぐため渡辺篤志は火のついた零戦で飛んで自爆してしまう。爆死する寸前無線で鶴田に

「自分は卑怯者ではなかった、とオフクロに伝えてください。」

 戦争ってのは度胸試しの場かよ。映画を観ていると、彼らは何のために特攻するのか分からなくなってくる。国を守るため? 親や奥さん子供を守るために戦争に行くのか? それとも、自分が死ぬ事を恐れない男、である事を証明するために出撃するのか?

 高倉健も同様に母子家庭。父親は最初の特攻で死んでしまった。ラストは鶴田浩二の直掩隊に守られながら特攻していく。劇中語られるのだが、特攻隊の成功率は13.4%であったらしい。 高倉健の特攻は最後の特攻隊であった。何とか帰還した鶴田浩二は整備長の若山富三郎から終戦を聞かされる。驚く鶴田。上層部では10日も前から分かっていたらしい。高倉健は無駄死にじゃねえか。鶴田浩二は最後に残った零戦で、夕日の中に消えていく姿にエンドマーク。しかしどこに特攻するのだろう。


映画の冒頭、レイテ湾での特攻を提案する杉浦中将(内田朝雄)に対し、矢代少将(見明凡太朗 )が反論するシーンがある。

「世界の戦史に決死隊はあっても必死隊という前例はありません。人間は兵器ではありません。いかに逼迫した戦局であっても、人間を爆弾と共に突入させる必死隊の編成は日本海軍70年の伝統に汚点を残すものであります。」

「君の言うとおりだ。これは既に戦術ではない。戦争のルールを逸脱した邪道だ。この戦いに勝ち目はない。せめて可能な限り大きな打撃を与え敵の戦意をくじく。戦争終結のきっかけをつくる。」

 どう考えても無謀な作戦だ。勝手に美化してんじゃねえ!! 今だからそう思うのだが、当時はこれしか考えられなかったのだろう。


 この手の作品を観て毎回思うのは、いかに逃げるかということだ。コミュニケーション能力が不足しているオイラは集団の中で生きて行く事は難しい。世渡り立ち回りが下手だから最前線に送られて即戦死だ。死ぬのは嫌だよ。だから非国民となじられても逃げたい。卑怯者だって何だって構わない。理想は脱走して山の中で暮らす事かな。

 脱走兵の理想形は鈴木清順監督の『春婦伝』(青春大全集参照)に登場した宇野一等兵(加地健太郎)だろう。戦闘の途中で脱走、中国軍に寝返るのだ。上手い事やりやがるが、こいつは中国語も堪能で頭が良かった。とてもオイラには無理な芸当だ。現実にやったら失敗して殺されてしまうだろう。もちろんその時は見苦しいまでに命乞いをするだろう。男としての尊厳とかプライドとかかなぐり捨てて、助けてくれるのなら相手の靴の裏でも舐めるだろうな。


 『神風特攻隊』も同様だ。立派に飛び立って死んでいく。チキンのオイラには絶対に無理だ。国や家族を守るため? 冗談じゃねえよ! ってなもんだ(ああ非国民)。

ああ・・・まだ5月分が残っている。どんどん行かなくては!!