第4帖
星よ嘆くな 技斗の男

 

昭和30年代はボクシング黄金時代だったそうである。日本チャンピオンのファイトマネーで家が買えたそうだ。現在では世界チャンピオンといえども人気がないとボクシングだけでは生活できないらしい。映画もボクシング映画が多かった。殆んどのスターは一度はボクサー役を経験している。我らが日活も裕次郎、旭、トニーに和田浩治。二谷英明や高橋英樹、渡哲也もボクシング映画を撮っている。
 当時、日活にはボクシング部があった。部といっても正式なものではなくて、アクションの勉強や社員の福利厚生という意味合いで存在していたらしい。撮影所の中にサンドバックを置き、何とリングまであったそうだ。この部でボクシング指導をしていたのが阿部幸四郎である。もともと阿部は戦前に関西のリングで活躍したボクサーで終戦後、審判員などをしていた。知人に請われて製作を再開した日活でボクシング指導(技斗師?)をしていたらしい。ボクシング映画では指導だけではなく、レフリー役もこなしている。60年製作の『打倒』までその姿を見ることができる。リングの中を選手よりもイキが良い感じでピョンピョン飛び跳ねていたのを記憶している人も多いと思う。
 何月号か不明だが、90年頃発行の『ワールドボクシング』誌で阿部幸四郎インタビューが掲載されたことがある。それによるとセンスが良かったのは小林旭、パンチもあったし礼儀正しかった。新しいレコードが出ると阿部のところに持ってきていたそうだ。赤木圭一郎もセンスが良かったから教えるのが楽しみだった。阿部は60年代に入って調布駅近くにアベボクシングジムを開く。この時阿部は赤木に「今度ジムを出すんだ。」と打ち明けた。赤木は「そうですか。ジムが出来たらまた教えてください。」と答えたそうだ。そんな会話をした矢先、事故で亡くなったらしい。(裕次郎は昼休みにビールを飲んだりしていたからあまり快く思っていなかったそうだ(笑)。)真偽はわからないが、現在少年マガジン連載のボクシング漫画『はじめの一歩』に登場する鴨川会長のモデルは阿部なのだそうだ。
 今回、阿部幸四郎の事を調べたのだが、資料が乏しく上記の事くらいしか判らなかった。オイラはオタクだからボクシングはもちろんスポーツネタの知識はない。そこでちょっと取材をした。オイラの数少ない友人の知人で元プロボクサーという人がいる。名前は出さないで欲しいと言われたから、ここではA氏としておこう。A氏は30代半ば、現役時代はチャンピオンにこそなれなかったが、日本ランキングに名を連ねた事もあるらしい。95年頃に足を洗って、現在は堅気の勤め人をしている。今回、友人を介して紹介してもらい、阿部幸四郎について語ってもらった。
「阿部会長?俺はアベジム所属じゃなかったから、直接は知らないんだ。でも俺が現役の頃(90年前後)、阿部会長は熱血漢の名物男だったな。昔から有名だったんだろうけど、俺がやっていた頃はアベジムには高橋直人(元日本バンタム&スーパーバンタム級王者、現JBスポーツクラブ会長)がいた。高橋直人との師弟コンビは有名だった。TVで練習風景の映像やインタビューを観たけど、かなり厳しく教えていたみたいだ。実際、恐そうだったもん。俺のいたジムの後輩で高橋直人に憧れてアベジムに見学に行ってビビって帰ってきた奴がいたっけ。俺ね、デビュー前に一度だけ、アベジムの選手と練習試合したことがあるんだ。練習試合だから公式戦じゃないんだ。デビュー前に経験積ませるためのものなんだけど、そのときは俺が判定で勝ったんだ。そうしたら負けたアベジムの選手は可哀相に阿部会長に怒鳴られていたな。「そんな事でプロでやっていけると思っているのか!」だって。コワ〜だよ。試合後、廊下で阿部会長とすれ違ったんだ。俺は怖かったけど一応挨拶したんだよ。「ありがとうございました。」ってさ。そうしたら「君、(ボクシング)上手いねぇ。頑張りなさい。」って誉めてくれたんだ。俺は高橋直人の師匠に誉められて、ちょっと嬉しかった記憶があるよ。」

 高橋直人の試合はオイラもTVで観た事がある。試合前のインタビューで高橋直人と「頑張ろうぜ!」と言ってガッチリ握手していたのを憶えている。ボクシングに賭ける情熱も人一倍強かったそうだ。ボクシングの事を考えてグローブをはめたまま眠ってしまったという逸話もあると聞いた。そんな阿部氏も1992年5月2日に他界している。明治男の気骨を持った人だったのだろう。心からご冥福をお祈りします。

 現在、アベボクシングジムは幸四郎氏の息子の徹氏が後を継いでいる。
いつか、夫馬俊太郎高野昭のようなチャンピオンが誕生することを期待したい。



参考文献 
 『ボクシング100年』より、
“日活ボクシング部 銀幕のボクサーたち”
日本スポーツ出版社