第17話  さすらいのテレビ局シリーズ
テレビ神奈川(TVK)

 

テレビ神奈川(TVK)は横浜山下公園近く、首都高速狩場線沿いにあるテレビ局。写真では良く分からないが、ひし形状の奇妙な形をした建物である。70年代後半頃、日活映画は平日の午後から時々であるが放送していた。『あすの花嫁』『この虹の消える時にも』『友を送る歌』等々を観た記憶がある。他にも観たと思うのだが、千葉テレビやテレビ埼玉と ゴッチャになってしまってちょっと思い出せない。テレビ神奈川は日活映画よりもドラマの方が思い入れがある。

79年〜80年頃、毎週金曜日PM9時25分から55分まで昭和30年代の懐かしのヒーロー物を放送していたのだ。『月光仮面マンモスコング篇』、『怪傑ハリマオ第1部』、『豹(ジャガー)の眼』、『遊星王子』、『忍者部隊月光』、『海底人8823』、『まぼろし探偵』、『少年ジェット』等々を放送してくれた。当時、この番組のスタートに関してテレビ神奈川は力を入れていたみたいで、放送開始日79年4月6日(金)の2日前の4日(水)に横浜駅近くの公会堂(場所忘れた。)で前夜祭のようなイベントを開催した。イベントといっても上記の作品を何本か上映して「テレビ放送もヨロシク!」ってだけの面白くも何ともないイベントであった。入場希望者はハガキで申し込むと後日入場許可のハンコが押されたハガキが送られてくる。平日の夜だというのに申し込んでわざわざ横浜まで行ったのに、ダラダラと上映だけして終わりだったのでガッカリして帰ってきた記憶がある。しかしテレビ神奈川の本領?は80年代に入ってから・・・結構面白いドラマを放送してくれた。『科学捜査官』(73年作)、市川昆シリーズ『追跡』(73年作)、『特捜記者』(72年作)等は欠かさず観ていた。
 『科学捜査官』は科学捜査研究所の技官たちがその科学力を駆使して警視庁捜査一課の芦田伸介の捜査をサポートするもの。毛髪担当の技官に田中邦衛、ポリグラフ(嘘発見器)の使い手に香山美子。血液担当に原保美が扮した。他にも熱線カメラや頭蓋骨から生前の顔を復顔する担当の技官(誰が演じたのか忘れた。)もいたなぁ・・・・こう書くと円谷プロの名作『怪奇大作戦』を彷彿とさせるのだが、『科学捜査官』は原作が『事件記者』の島田一男。描かれる科学捜査もリアル志向の上、追いかける事件も平凡なため盛り上がりに欠ける出来であった。
 『追跡』は三好徹原作の短編集『天使』を映像化したもの。新聞社の横浜支局勤務の記者・中村敦夫が、取材した事件の被害者や関係者の女性を「天使」に見立てたもの。原作も読んだが、もの悲しい話しが多くて見ごたえがあった。この作品での中村敦夫はべスパのスクーターに乗っていた。『探偵物語』(79年作)の松田優作よりも6年も先に乗っていた。
 『特捜記者』は芦田伸介が編集長のタウン誌が舞台の事件物。メンバーは近藤正臣、谷啓、小野信也がいたっけ。

 

しかし横浜といえば、神戸と並んで日活映画の舞台に頻繁に登場した街。写真の建物はTVK近く、山下公園前にあるホテルニューグランド。名作『赤いハンカチ』『帰らざる波止場』で使われた。『赤いハンカチ』では実業家として成功した二谷英明が妻となっているルリ子を伴ってパーティに出席しようとする姿を横浜に舞い戻った裕次郎が木の陰(撮影位置)から見ているシーンで登場している。

 

この街で思い出すのは80年前後、何月だか忘れたが年に1回、氷川丸で行われていた『モデルガンショー』である。青春無頼帖でも書いたが、この頃オイラはガンマニアだった。行ったなぁ・・・日曜日に独りで・・・・桜木町からテクテク歩いて行ったのよ。都内から横浜まで行くにはJR(当時は国鉄)よりも東急東横線の方が安い。氷川丸だと関内が一番近いのだが、JRに乗る金を惜しんで桜木町から歩いた。友達のいないオタク君だったからね。休日でひと気のない街を裕次郎気取りで歩いたなぁ。『モデルガンショー』なんて要するにモデルガンの即売会。1割〜2割引きくらいで売られていたけど金もないし、ただ見てくるだけ。何も買えずに帰ったっけ。そうそうこの時の会場の写真が国際出版発行の『月刊GUN』誌に掲載された。オイラはその写真の片隅にチラッと写っていました。本人にしか分からない程度の大きさだったけど、オイラにとっては記念すべきマスコミデビューである(笑)。買って大切に保管していたけど、どっか行っちゃったな。ホント恥ずかしいネ。ここはそんなオタクな思い出の街です。

 

テレビ神奈川 詳細データ
オフィシャルHP参照