第2録

ワイルド7と長谷部安春監督

 

 2005年3月26日(土)、お世話になっております『こちら特撮情報局』(以後、『こち特』と表記)主催イベント、『国際放映テレビドラマ関係者とファンの集い』に参加して来ました。国際放映見学後、小田急線祖師ヶ谷大蔵駅前の喫茶店で『ワイルド7』スタッフ・出演者のトークショー。最後は下北沢の大月ウルフ氏経営のレストランで懇親会というスケジュール。トークショーゲストは『ワイルド7』で飛葉役を演じた小野進也氏と世界役のマイケル中山氏。そして長谷部安春監督という豪華カードでした。
 PM1時、『こち特』の奥虹氏の引率で国際放映へ。この日の参加者はオイラの他、7〜8名(スタッフを除く)。最初は『レインボーマン』、『ダイアモンドアイ』の音楽に関与された押見順司氏の案内で施設の見学。国際放映には2年前に一度、来た事があります。あの時訪れたスタジオには、春から放映する松島菜々子主演の『美女か野獣』のセットがあったのですが、この時は何もなくガランとしてました。見学後、会議室で押見氏から国際放映の説明を受けました。周知のように国際放映は、前身となる新東宝が昭和36年に倒産後、翌37年にTVドラマの製作会社としてスタート。昭和47〜49年の最盛期には18〜20作品の番組を製作していたそうです(『レインボーマン』、『ワイルド7』、『太陽にほえろ』、『鬼平犯科帖』、等々)。平成2年にスタジオを整理。平成4年にTV番組のレンタルスタジオとしてオープン。TBS、フジテレビ、関西TVが20年契約で借り受け、現在は国際放映製作作品の他、各局TV番組の製作をしているそうです。しかしフジテレビは平成19年にお台場にスタジオを作るらしいので、将来的にはフジテレビの後に他局が入る可能性もあるらしい。その後、小野進也氏、マイケル中山氏、当時録音を担当していた黒丸治夫氏も加わり、『ワイルド7』製作当時の話を聞かせてくれました。撮影中はワイルド7の格好で昼飯を食べに行って目立った話。着ていたジャンパーは革ではなくビニールで、夏は暑く冬は寒かった話。夏は汗がブーツの中に溜まって大変だったそうです。小野氏も中山氏もこの撮影のためにバイクの免許を取ったので、撮影当初は上手くバイクに乗れなかった。撮影も後半になるとみな上手くなった話、等々。スタントマンがいなかったので、撮影中は怪我が耐えなかったらしい。マイケル中山氏はバイク撮影でギックリ腰になってしまい、未だに調子が良くないそうです。録音を担当していた黒丸氏の話では、一番苦労したのはバイクや銃撃音だったそうです。『ワイルド7』は同録ではなく、後から音を入れるので台詞や効果音を入れるのに毎回夜遅くまでかかったそうです。ヒドイ時は朝7時から始まって、終わったのが翌日の昼だった事もあったそうです。
 PM3時、場所を小田急線祖師ヶ谷大蔵駅近くの喫茶店に移して、トークショーの第2部が行われました。ここでのゲストは小野進也氏、マイケル中山氏にワイルド7を監督した一人・長谷部安春が加わり、思い出話を語ってくれました。今回参加の最大の目的は長谷部安春監督でした。長谷部監督は昭和33年日活入社、41年『俺にさわると危ないぜ』で監督デビュー。『野良猫ロックシリーズ』他、末期の日活で数々の名作を監督した人です。今回出撃したのは、奥虹さんから「長谷部監督を紹介します。」と言われたからなのでした(笑)。長谷部監督は昭和7年4月4日生まれというから現在73歳、とはいえ今だ現役。TVドラマでは『西部警察』、『あぶない刑事』の他、近年ではTV朝日『相棒』、土曜ワイド劇場『
おとり捜査官・北見志穂シリーズ』を監督しています。実物の長谷部監督は柔和な笑顔とソフトな物腰のオジサンという感じでしたが、小野氏やマイケル氏の話では撮影当時は怖い監督だったそうです。だからこそ危険なアクションシーンでは集中してやるので、長谷部監督のときは怪我をしなかったそうです。

 トークショーでの長谷部監督の話を採録します。

(ワイルド7は)1週間で1話撮ってしまうのに、(天気も悪かったせいもあるけど)1話と2話だけで1ヶ月かかってしまい、予算も日数もオーバー。国際放映関係者に呼び出され怒られました。この手の作品はフィルムも時間も余計かかる。朝6時、7時に出発してロケ地は今の多摩ニュータウンあたりの造成地で、一日中やってました。撮影に使用していた銃は連発で薬莢も飛び出すので、NGが出ると最初からやり直し、小道具さんも準備に大変でした。・・・・ワイルド7は当時、(みんな殺しちゃうから)ワースト番組1位だったと思います。視聴率も大した事はなかったと思います。

 
監督も30年以上昔の作品なので、最初は記憶も曖昧だったようですが、小野氏やマイケル氏の話やスタッフが用意した写真を見ているうちに記憶が繋がってきたのか、当時の思い出を語ってくれました。中でもマイケル氏の記憶力は抜群で、小野氏も憶えていないような事を昨日の事のように語ってくれたのには驚きました。現場では女ッ気がなくて、ゲスト女優が来るとみんなで観に行ったりしたそうです。レギュラーの真理アンヌさんはセットの撮影が殆んどでロケ現場に来る事は少なかったので、あまり絡めないため皆、女に飢えていたそうです(笑)。

 喫茶店でのトークショーはPM5時で終了。ラストは場所を下北沢にある大月ウルフ氏経営のレストランに移しての懇親会でした。この時、奥虹さんが気を使ってくれて、オイラを長谷部監督と同じテーブルに座らせてくれました。このテーブルには小野氏、マイケル氏も一緒。緊張しましたが、小野氏やマイケル氏はオイラのようなオタク者にも、気さくに声をかけてくれてリラックス出来ました(その節は大変お世話になりました!)。オイラは長谷部監督のところに行き自己紹介しました。長谷部監督は昭和30年、大学卒業後、脚本家・松浦健郎氏に弟子入りするのですが、その前に一水社(お世話になっております)でライターをしていたそうです。以前、漫画屋の塩山氏(お世話になっております)から聞いていたので、オイラが一水社の仕事をしていると言ったら、「あの一水社?!」驚いていました。他にも参加者の方がいたので、あまり落ち着いて会話が出来なかったのですが、下記の事を語ってくれました

 

・日活には助監督試験を受けて入ったそうですが、試験の内容は?
一般常識問題と・・・・規定の枚数で一本、話を書くというものでした。

・監督になる前はシナリオを書かれていますね。『俺の血が騒ぐ』『航空検察官 燃える雲』等・・・
『・・・燃える雲』は脚本だけでなく、空中撮影も私がやりました。監督の野村孝という人はイヤな人でね(笑)。自分のイメージした絵を撮って来ないと、やり直しさせられるんですよ。やたらと空を飛んでいた記憶があります。

デビュー作『俺にさわると危ないぜ』ではヒロイン・松原智恵子を下着姿にして鎖で吊るすシーンがありましたが・・・

ああ・・・あれね。会社からは文句は出なかったけど、松原智恵子には嫌われたなぁ。

『俺にさわると危ないぜ』は不入りだったそうですね・・・
そうです。予算もオーバーしていました。その後、仕事もなくて野村組の仕事をしていました。
(長谷部監督の横に座っていたマイケル中山氏が)監督の(作品)は新し過ぎるんですよ。時代がまだ付いて来ていなかった・・・今観るとスゴイんだから。

・『野良猫ロック』での新宿西口地下道でのカーチェイスシーンは本当にゲリラ撮影だったのですか?・・・
そうです。本当にゲリラでした(笑)。

・監督は役者さんに細かい演技指導とかされるのでしょうか・・・
いや、しない。私はそういうの好きじゃないから・・・本当はテストとかもしたくないんだ(笑)。
(マイケル中山氏が)当時の監督はとにかく怖かったから、(オイラが持参した『HOT WAX Vol.1』誌の写真を示しながら、)こんな感じで、髭はやしてサングラスかけてて怖かったんだよ。とても演技の事とか質問できる雰囲気じゃなかった。

この時はワイルド7のDVDを上映。作品を観ながら小野氏、マイケル氏が撮影中の思い出を語ってくれました。当時はみんな、いかに自分が目立って映るか苦心したそうです。例えば、バイクで隊列を組んで走っていても、自分が目立ちたいから、わざと少し外れて走ったり・・・オヤブン役を演じた永井政春氏は用も無いのに、画面の隅で中国拳法で使う武器を振り回していたり、渥美清の真似をして台詞を言ったりしていたそうです(DVDをお持ちの方、この辺を意識して観ると、また面白いかも)。長谷部監督は最初、自分の撮った回の作品を観ても、「あれ俺の作品?」とマイケル氏や小野氏に尋ねたりしていましたが、画面を観ているうちに撮り方で分かるのか?「ああ・・やっぱり俺のだ。」。数多くの作品を撮っているから、30年前に撮ったTV映画などイチイチ憶えている訳が無いのに、画面を観て思い出すのはやはり監督だなぁ、とオイラは一人で納得&感動してしまいました。穏やかな眼差しが画面を観る時は、フッと鋭い目つきに変わる長谷部監督は「映画職人!」という感じでカッコ良かったです。

 会場となったレストランでは主人の大月ウルフ氏が名ホストぶりを発揮、独特の口調で楽しませてくれました。ハスラー教授&エルバンダは健在!長谷部監督、小野進也氏、マイケル中山氏はPM10時頃に帰られました。去り際、長谷部監督はオイラに「今度、あなたの作品を読ませてください。」。社交辞令とはいえ、天下の長谷部安春監督にそう言われたのは嬉しかったです(Mate持って来れば良かった、と後悔)。最後は大月氏が参加者全員にワインを振舞ってくれて、楽しい宴はPM10時30分終了しました。
 帰りは『こち特』スタッフや参加者の方々と下北沢駅から小田急線で新宿に出ました。改札を抜けて西口の地下道を通ると、思い出すのはゲリラ撮影した『野良猫ロック』のカーチェイスシーン。見慣れた場所ですが、監督本人から「ゲリラ撮影でした。」と聞いたばかりだったので、感慨もひとしお。良くこんな所でやったものだ、と思います。『野良猫ロック』を観直してみると、地下道のシーンは疾走するバイクやバギーカーの横を、一般の通行人が歩いていたり、営業中のショーウィンドーの前を突っ走って行きます。事故ったら大ごと、本当にキワドイ撮影だったと思います。長かったけど楽しい一日もこれでオシマイ。PM11時、西口地下道で流れ解散してオイラは家路に付きました。
 

最後になりましたが、貴重な機会を設けて頂いた『こちら特撮情報局』奥虹様、山本三吉様、森川様。(株)メディアワークス レッド染谷様に感謝申し上げます。楽しいイベントでした。ありがとうございました。