第1録
井上昭文氏に会いました

 

2002年11月30日(土)、相互リンクしています『レインボークリエーション』さん主催の『レインボーマン放映30周年記念オフ会』に参加して来ました。正午に小田急線・祖師谷大蔵駅に集合。『レインボーマン』に登場した幼稚園『どんぐり園』としてロケに使用された幼稚園の建物見学から始まり国際放映見学。夕方から駅前喫茶店を借りてのゲストトークショー。その後、小田急線で下北沢に移動。『レインボーマン』の悪役エルバンダ、『大鉄人17』でも悪役ハスラー教授を演じた大月ウルフ氏経営のレストランでの2次会と楽しい時間を過ごしてきました。トークショー出演のゲスト陣は『レインボーマン』プロデューサー・衛藤公彦氏。監督・六鹿英雄氏。長沢大氏(ドクターボーグ)。曽我町子氏(ゴッドイグアナ)。そして井上昭文氏(ダイバ・ダッタ)という豪華な顔ぶれ。(株)メディアワークス社『電撃特撮通信』編集部のレッド染谷氏が司会を担当。当時の思い出話を披露してくれました。
 今回のオフ会参加のお目当ては井上昭文氏。マニアの方には説明は不要というくらいお馴染みの人デス。全盛期の日活映画では悪役から善玉役まで幅広く活躍されました。ちょっと思い出すだけでも『俺たちの血が許さない』の昔気質の侠客、『男と男の生きる街』の麻薬中毒のヤクザ、『零戦黒雲一家』の整備曹、『何処へ』、『青い山脈』での教師役、等。とにかくやたらと出ていた人。名前は分からなくても顔を見れば「あっ!いたいた。」と思わせるお馴染みの俳優さん。
 国際放映見学後、トークショー会場の喫茶店に徒歩で移動。会場に入るといたいた!!井上昭文氏が椅子に座って曽我町子氏と談笑していました。年齢も70歳を過ぎ体調を崩されていたという噂を聞いたので大丈夫かな?と思っていたのですが、モノホンの井上氏は年齢の割にガッチリした体型で足取りもしっかりとしたご様子、安心しました。
 他にゲストの方々もいるし参加者はオイラを含めて20人くらいいたから、直接会話は無理だろう。それにオイラは関係者の方々とはあまり接触するものではないと思ってマス。オイラは作品至上主義者だから大事なのは作品。それに関係者の方々だってオイラのような挙動不審なオタク者に近寄られるのは迷惑だと思うからダ。仮に話しが出来てもオイラはチキンでオタクだし人と会話するのは苦手。だから遠くから元気なお姿を見られれば満足!というつもりで行きました。特撮物のイベントオフ会に参加したのは初めて。孤独なオタク野郎のオイラには一緒に参加してくれる友達もいないので独りで参加。チョット心細そうにしているオイラを気の毒に思ってくれたのかナ。主催のレインボークリエーションの月蛇氏と奥虹氏は初対面のオイラにも気さくに声をかけてくれました。(その節はありがとうございました!)
 トークショー終了後、小田急線で下北沢の2次会場へ。電車に乗り込むとレッド染谷氏や月蛇氏、奥虹氏に「GUTSさん、井上昭文さんとお話ししてください。」と言われました。突然の事でビックリ!奥虹氏が座席に座っている井上氏の所に一緒に行ってオイラの事を紹介してくれました。オイラはビビってしまいまして、とにかくシドロモドロで自己紹介。混乱しているオイラを見かねたのか?井上氏はユーモラスな口調で語ってくれました。祖師谷大蔵駅から下北沢駅まで約10分、下北沢駅から大月ウルフ氏の店まで徒歩約10分。時間にすると計20分程度でしたが貴重な時間でした。前フリが長くなりましたが、大体下記のような事を喋ってくれました。

・好きな作品は?
「『青い山脈』と『何処へ』ですかね。私は西河(克巳監督)さんに可愛がられてまして、よく使ってもらいました。『青い山脈』の国語教師役は今井正監督のに負けないように意識してやりました。『何処へ』は秋田ロケだったかな?イタズラをして木の上に逃げた生徒とのシーンは思い出に残っています。ロケ先の旅館で宝塚の女優さんたちと一緒になりました。主演の高橋英樹は「嫁さんはあの中の誰かがイイ!」なんて言ってました(笑)。共演の松原智恵子は名古屋の風呂屋の娘でね。高橋英樹に良くからかわれてました。私も松原智恵子と同じ名古屋出身なんです。『零戦黒雲一家』の時だったか?出番の無い日に甲子園で母校の中京商業の試合があって応援に行った記憶があります。風呂場で頭洗っている監督に出番が無いのを確認して行きました(笑)。」

・『青い山脈』の女性教師役は芦川いづみさんでしたが・・・
「芦川いづみさんはスターなのにおとなしい静かな人でした。女優さんはもう少し活発にされた方が良いと思っていました。」

安部幸四郎さんは憶えていますか?
「知らないです。殺陣といえば高瀬(将敏)さん、今、息子さんが後を継いでいると思います。」

・『男と男の生きる街』での麻薬中毒役はリアルでした。
「あぁ・・・あのペー中役ね。ペー(麻薬)なんてやった事ないから、役作りは苦労しました。『赤い靴とろくでなし』だったか?シナリオを現場で直してしまうなんて事もありました。(宍戸)錠さんの映画で錠さんが「俺が直す。」と言って現場で直してしまいました。『赤い靴・・・』の時は最後の撮影シーンが私が海に落ちるシーンで、落ちた後中々拾ってもらえずにしばらく海の中にいて辛かった記憶があります。」
(オイラは『赤い靴・・・』は未見。こんなシーンがあるの?)

・日活撮影所の食堂には俳優やスタッフ等、いろいろな人たちが集まってきたそうですが・・・
「そうです。裕次郎さんだけは昼間っからビール飲んでました。体を悪くされたのは飲みすぎたせいですかねぇ。」
井上氏は病気をされて現在は禁酒禁煙しているらしい。2次会でもノンアルコールビールを口にしていました。オイラが「またヤクザの役とかやって欲しいです。」と言うと「もう無理ですよ。」と言う風に苦笑されていました。

・キネマ旬報の『日本映画男優辞典』に特技はサキソフォンとありましたが・・・・
「高校生の時に親戚のオバサンに教わりました。当時としては珍しかったと思います。」

・日活以外にも出られていますが・・・・
「ある日、京都にいる勝新(太郎)さんから電話がかかってきて「すぐに来い!」。「何の役ですか?」って尋ねたら「あんたに出来るのは一つしかないだろ!(笑)。今、京都だから電話代勿体無いから切るよ。(ガチャン)」それだけで京都まで行ってヤクザの親分演じて来ました。」
(おそらく『座頭市果たし状』だと思われる。)

・日活の脇役俳優といえば榎木兵衛氏や故・高品格氏がいますが・・・
「榎木さんは『みんなの家』でもガンバってました。高品さんは元ボクサーだったから立ち回りの動きとか素晴らしかった。でも普段は真面目な人だったな。あの頃は大部屋の連中で「(芝居の)稽古しようよ。」とみんなで稽古したもんです・・・あの頃は忙しくて1年間に14本の映画に出た事があります。映画は月に1本ペースで作っていたのでかけ持ちで出ていました。何の映画で自分の役が何なのかも分からないでやっていました。」

 
井上昭文氏は根っから芝居が好きなのだろう。トークショーの時も六鹿監督に「(芝居の)稽古をさせてください。」と訴えていた。TVドラマ、しかも子供向けの番組では最低の予算と時間しかないのだろう。レインボーマンの時はテストだけして殆んどぶっつけ本番で撮影していたらしい。下北沢駅から歩いているときも口癖のように「とにかく稽古、稽古です。」と呟いておられました。そんな姿に『俺たちの血が許さない』で演じた昔気質の侠客・飛田丑五郎の姿がダブりました。
 会話できたのはこれくらい。奥虹氏から薦められたトニー事故死の時の話しは聞きそびれてしまいました。緊張しましたがオイラにとっては至福の時間でした。
 
 大月ウルフ氏のレストランでの2次会が終了したのが9時近い時間だった。井上氏や長沢氏、六鹿監督、衛藤プロデューサーは8時半過ぎに引き上げていきました。他のオフ会参加者の方々は3次会のカラオケに行ったようですが、オイラは翌日朝から仕事のため帰宅。下北沢駅近くで月蛇氏、奥虹氏に挨拶をして帰りました。別れ際、お二人はオイラに『仮面ライダー・クウガ』の主人公・五代雄介(オダギリジョー)が番組でやっていた親指を立てるポーズをしてくれたのに、とっさの事で同じように返す事が出来なかったのが残念デス!
 このお二人はイベントの運営もテキパキとして「デキル男!」って感じでした。正直、オタク相手のイベントだからそれなりのご苦労もあると思います。そんな素振りもなく参加者一人一人に声をかけ盛り上げていた姿に好感を持ちました。

今回のオフ会は本当に楽しかったです。
最後になりましたが、貴重な機会を設けて頂いたレインボークリエーション月蛇様、奥虹様。(株)メディアワークス レッド染谷様に感謝申し上げます。