第40話永遠の聖地
調布日活撮影所(後篇)

 

 39話の続きです。3度目にここに来たのは2003年5月18日(日)、老舗の『赤木圭一郎を偲ぶ会』主催のイベントでした。経営不振の日活は撮影所を売却、横浜に移転という話があったため、ここでのイベントはこれが最後という噂。今回のイベントには『日活撮影所ファイナル2003』というタイトルが付けられていました。『偲ぶ会』のサイトでイベント開催の告知を発見。参加希望者は会の代表者に電話で参加申し込み、という事なので早速TEL。当日はAM10時45分に撮影所正門前集合という指示。オイラは25年ぶりに聖地・日活撮影所にやって来たのです。25年前と同様に京王線布田駅から独りテクテクと歩いて行きました。当時はもう少し田舎の駅という感じだった気がするのですが現在の布田駅周辺はマンションやアパートが建ち、撮影所へ続く道・布田南通りも交通量が多い。徒歩約20分で撮影所到着。入り口には既に100人くらい?の人だかりが出来ていました。いるのはおそらく日本全国から集まった「日活使い」(日活映画の使い手)の連中だろう。その中にはこの世界での有名人や日本でも一、二を争う名うての強豪もいるに違いない。正直緊張しました(笑)。

 

AM11時、係りの人の引率で聖地の中に、左の写真は入り口付近にあった敷地案内図。現在の撮影所は全盛期の半分以下?。2枚目は撮影所中央辺りにある食堂の脇なのだが、かつては奥に見えるマンションも撮影所だった(地図で言うと北側)。このマンションのあった所には本館と呼ばれる建物があったらしい。

 

左の写真は食堂脇を撮ったもの。裕次郎や旭、トニーに和田浩治、宍戸錠、等のダイヤモンドラインのスターたちがここに並んで立っている写真を見たことがある。この一角は当時と変わっていないのはウレシイ。

 

3枚目はイベント会場になった第6ステージ。会場の隅には写真集や書籍、ビデオ、DVD販売の他、ポスターや秘蔵写真の展示が行われた。オイラは『偲ぶ会』の会報『激流No.8』を購入しました。この日のイベントは午前中に『拳銃無頼帖・不敵に笑う男』上映。参加者にはサンドイッチとお茶の昼食が配られて昼休み。午後から懇親会という名のトークショー。『偲ぶ会』の松本氏が司会を担当。

 

ゲストは当時のスチールカメラマン・井本俊康氏とトニーと親交の深かった杉山俊夫氏。当時の思い出話を語った後、『赤木圭一郎は生きている・激流に生きる男』を上映。最後に撮影所を見学して解散というスケジュールでした。
 日活映画ではイキの良いアンちゃん役の多かった杉山氏。昭和14年2月2日生まれというからこの時、既に64歳。どこにでもいる普通のおじいさんという感じでした(失礼!)。.

 

 

左の写真は撮影所のメインストリート。周知のように1961年2月14日正午、ゴーカートに乗ったトニーは当時、写真奥の辺りにあった撮影所正門をスタート。このメインストリートを手前に向って走り下の写真、突き当たりのT字路を左折。本館前(写真に写っているマンションのある辺り)を通過して正門前に戻るというコースだったそうです。

 

1周目は無事に回ったものの2周目、突き当たりのT字路を左折する際、ハンドル操作を誤ったのか?このゴーカートは通常の車と違ってアクセルとブレーキが逆に付いていたため踏み間違えて?鉄扉に激突。慈恵医大第3病院に担ぎ込まれたものの1週間後の2月21日午前7時50分帰らぬ人となりました。下の写真の鉄扉は塗装されているものの当時の物だそうです。

 

25年前にここを訪れた時は塗装されておらず錆びてドス黒く変色していた記憶があります。見学の際、数名の参加者の方がこの鉄扉前に花束を手向けていました・・・合掌です。この鉄扉を左折すると本館のある大通りに出るのですが現在では行き止まり、資材置き場となっています。
 

 

資材置き場。行き止まりです。全盛期はこの先も撮影所でした。トニーは日活全盛期を生きて衰退を知らずに亡くなってしまいました。おそらくトニーのいた頃の日活が一番良い時代だったのでしょう。トークショーの際、質問コーナーの時間があって、「生きていたらトニーはどうなっていたと思いますか?」という参加者の質問に杉山氏は「おそらく俳優はやっていないと思います。本当に船に乗っていたかもしれません。」と答えていました。

ゴーカートで疾走したトニーはこの突き当たりのT字路に向っていた時、何を思っていたのでしょうか?左の写真は事故直前のトニーが見た風景という事になります。

見学は他にスタジオを何箇所か見せてくれましたが、壁に青空のホリゾントがあるだけでセットも何も組んでいない廃墟のような状態でした。最後に正門前で解散だったのですが、この時に参加者の一人が移転計画について質問していました。この時は「まだどうなるかわからない。」という答え。数ヵ月後、日活労働組合のHPを観たら移転計画が白紙になったとの事。しかし縮小、閉鎖という可能性もあるらしいです。出来ることならばこの聖地を永遠に残しておいて欲しいところですが、オイラにはどうすることも出来ない。オイラは経営者でも株主でもないタダのオタクだからね。オイラに出来ることはただ成り行きを見守る事だけである。
 イベントが終了、撮影所入り口で解散したのがPM3時頃だったかな(もう良く憶えていないのヨ)。オイラは途中、コンビニでジュース飲んで布田駅まで徒歩。京王線に乗って帰りました。撮影所での夢のようなひと時ももうオシマイ。この中にいた時は何だか日活黄金時代に少しだけ触れられた気がして満ち足りた気分だったのですが、電車が新宿に近づくに連れて現実に戻っていく感覚に襲われました。新宿に着いたオイラはいつものようにヨドバシカメラやソフマップをフラフラして帰りました(笑)。
 次に撮影所を訪れるのはいつの事になるのかな。この辺りは時たま車やバイクで通過する事はあるけど、こうやって駅に降り立つことはない。次に来る時は本当に撮影所が無くなるファイナルイベントの時なのかもしれない。そうならない事を祈るばかりである。
 最後に貴重なイベントを開催、運営してくださった『赤木圭一郎を偲ぶ会』日活関係者の方々に心よりお礼申し上げます。楽しいイベントでした。ありがとうございました。

 

日活撮影所データ
日活HP参照