第28話 オタク少年、思い出の地
銀座ソニービル

 

銀座ソニービルは数寄屋橋交差点にあるSONYの7F建てのショールーム。有楽町マリオンの対角線上に位置している。中ではソニー商品が陳列され、自分で操作して楽しむことが出来る。他にはイタ飯屋や洋服売り場、BMW関係のグッズ売り場もある。彼女とのデートコースに使えるゼ!って全日本モテナイ級王者のオイラが言っても説得力はないナ。(でもホント!)。こんなオシャレなところと日活映画とは不釣合いなのだが、1978年頃、ここで観た事があるのだ。観た作品は『この虹の消えるときにも』、『星のフラメンコ』、『友を送る歌』、『哀愁の夜』、他にも観た気がするのだが当時はキチンと記録を取っていなかったのでハッキリしない。

日活映画を観たと言っても上映会があったわけではない。TVKでの放送をここで観たのだ。千葉テレビのところでも書いたが、76年頃にアンテナを買ったのでUHFは自宅で観ることは出来た。しかし78年はオイラの自宅の改築工事が行われたためにアンテナを出す事が出来なかった。だから工事期間中はUHFを観ることが出来なかったのだ。この頃、TVKは午後から不定期で日活映画を放送していた。毎朝、新聞のテレビ欄で確認するたびに悔しい思いをしていたものだ。仮に映ったとしても平日は学校があるから観ることが出来ない。当時はまだビデオデッキも高価だったから持っていなかった。そんな時に以前ソニービルを訪れた時、ショールームに陳列されているTVはUHF局の放送が受信できたのを思い出した。オイラは放送の行われる日、例によって自転車で銀座に出撃した。この時は学校は夏休み。暑い中を飲まず喰わずでひたすら自転車をこいだ。放送時間は確かPM2時から3時20分、観た作品は『この虹の消えるときにも』。この時期は何故か西郷輝彦や舟木一夫の作品を集中的に放送していた。普段は学校があるので観る事が出来ないのだが夏休み中なら何とかなる。問題はTVが空いているかどうかだった。ブロードバンド時代の現在では陳列されている商品の殆どはパソコン関連のものだが、70年代はシステムコンポ(懐かしいと思うオーディオマニアはいるかな?)のステレオ商品が全盛の頃だった。当時ソニーはレコードやカセットデッキ、懐かしのオープンリールデッキや今は亡きエルカセットデッキ(持ってる人いる?)の他にTVもコンポに加えて販売していた。TVといっても小さな画面の白黒TV。(この頃はまだ小さな画面でのカラーTVが無かった。)敷居で隔てた専用のブースを数ヶ所作り、コンポを置いて客は自由に操作することが出来たのだ。椅子も置いてあるのでブース内は半分個室状態で快適に観ることが出来る。問題は観られるシステムコンポが空いているかどうかだ。大抵は銀ブラ(死語?!)に来たオノボリサンや外人、アベックなどがいて占拠できない。だから少し早い時間に来て空くのを待ったりした。『この虹を・・・』の時は何とか占拠することが出来たのだが、たしか『星のフラメンコ』の時はどれも使用中で仕方なく展示品の携帯テレビ(当然、白黒)で立って観ていた。小さな白黒テレビの前で80分も立ち見してたから店員のオッサンに睨まれたり、外人に勝手にチャンネルを変えられたりした。『友を送る歌』の時も携帯テレビの前で立ち見、周囲は騒々しいからこの時は音声を少しでもハッキリ聞きたいが為に家からイヤホンを持参して観ていた。しかし途中で店員のオッサンに見つかり引っこ抜かれたっけ。現在は西郷&舟木の歌謡映画は3000〜4000円のビデオソフトで気軽に観る事が出来るが、当時はなかなか映画館でもかからない幻の作品だった。だから放送を逃すと二度と観ることは出来ないでは、と思っていた。昔のオタクはホント苦労?したのよ。
 自宅の改築工事が終了してからはまた自室で観られるようになったから、ソニービルに行く事は無くなった。今回24年ぶりに行ったのだが中はすっかり変っていた。変っていないのはコンパニオンのお姉さんは相変わらず美人ばかりということだけ。(当然だ!)前述した通り当時はシステムコンポのようなオーディオ製品がメインだったのだが現在はパソコン関連のものが殆んど。パソコンは大半がインターネット接続されている。(ソネットのADSLか?)自由に使用できるのでオイラが行った時は多くの腹立たしいカップルがネットサーフィンを楽しんでいた・・・とほほのほ。


銀座ソニービル・データ
オフィシャルサイト
参照