第10録
椙山拳一郎トークショー
6月19日日曜日、21時からラピュタ阿佐ヶ谷で『美しき悪女』 鑑賞。
この夜は上映前に椙山拳一郎さんのトークショー。いつもは上映後だが、椙山氏は現在77歳。体調も優れないということで上映前に行われた。インタビュアーはいつもの鈴木氏で時間にして35分くらい。
現在椙山氏は俳優を引退。町の小さな劇団で演出をしたり、俳優養成所で教えたりしているらしい。死ぬまで芝居者でいたい、と語る。タバコの吸いすぎで肺気腫、階段の上り下りも辛いらしい。
「タバコは止めた方が良いですよ。滅茶苦茶苦しいですよ。」
西原儀一監督も同じ病気で亡くなったらしい。遺骨をあげたのは椙山氏と鈴木氏の二人だったそうだ。郷里の四国から上京した弟さんと妹さんは、葬式はしないで遺体を焼き場に運ぼうとした。あれだけの監督なのにそれでは寂しいということで、椙山氏の弟が重役をしている葬祭場でお骨をあげたそうだ。
『美しき悪女』 主演の香取環は、周知のように葵映画専属女優だった。当時はピンク映画で専属というのは珍しかった。椙山氏よりも年下だが、香取さんは椙山氏の事を「椙山くん、椙山くん」 と呼ぶそうだ。
「あいつは生意気なんですよ。」 と笑う。
「ピンク映画と言っても、今観るとさほどのことは無い。この頃は乳首が映るのも引っかかるので、乳首に絆創膏を丸く切って貼ったりした。これやると凄くイヤらしいんです。すぐに廃れましたけどね。」
ピンク映画でも地方に行くと映画スターとして扱ってくれたらしい。小林旭の映画と一緒に上映されていたりして、東京の映画スターとして紹介されて舞台挨拶したこともあるそうだ。
ピンク映画に出ながらTVドラマにも出ていた。NHKにもレギュラーで出ていた事もある。
「子供の道徳番組出ながら、大人の道徳映画に出ていました(笑) 」
NHKの子供向きの道徳番組(『みんな仲良し』 これ観てた!!) に5年間レギュラーをしていた。ピンク映画に出ているからとTVを降ろされたこともあったが、NHKのディレクターは気骨のある人で「椙山さんは俳優なんだから、何に出ていても構いませんよ。」 と言ってくれたらしい。
当時は忙しくて、今日はNHK、明日はピンク映画。地方ロケに飛び回っていたこともある。西原監督は撮影が長かった。絶対にスケジュール通りには行かないから、後半は開けておかないとダメだった。TVとの掛け持ちは大変だったらしい。
香取環との作品で好きなのは『桃色電話』 。『狙う』 での悪役は不本意だったらしくて、
「キャスティングなんていい加減なもんです(笑) 。」
「西原組には本読みがありました。ピンク映画で本読みする組なんてどこにもないんですよ。そんなことしたら予算がかかって仕様が無い。それでも最初の頃はそこそこ予算もあったので、キチンと本読みをして稽古をして現場に行っていました。(拘束されるから) 西原組を嫌がる役者さんもいました。」
「(初めて会った時) 西原監督にテストされました。新橋の事務所に行ったら原稿渡されて、それにはビッシリ台詞が書いてあるんです。これをこれから上野の美術館の石段の上でワンカットで撮る。上野に行くまでの間に全部憶えてくれ、と言われました。何て無茶な事言うんだろうと思いましたが、私も新劇の役者ですから、新劇ってのは幕が上がると全てがワンカットみたいなもの。舞台と同じ調子で憶えました。相手役は新高惠子でした。あとでカメラマンから聞いたら、どれくらいの役者なのかテストするために、台本にありもしない台詞を書いて渡したそうです。」
撮影は役者と監督の真剣勝負だったと語る。
「NGを出すと西原監督は最初からやり直しをさせられました。それでもあんまりNGが続くとフィルムが勿体無いので、多少マズくてもオーケーを出すんです。私も意地になって、納得できないからもう一度やらせてください、と言うのです。監督は金が無いからこれで良いというのですが、ジャンケンをして私が勝ったらリテイク。監督が勝ったらこのまま使う。癖のある、そんな監督でした。」
「お骨を拾った西原監督の作品をこうやって上映してもらってスゴク嬉しい。(ラピュタの) 支配人には感謝しています。良い供養になっていると思います。監督も私も真剣に撮っていました。私の青春時代でした。」
今回の特集最後の上映『不能者』 にも椙山氏は出演しているらしい。役はなんとヒットラー。
「渋谷の公園でヒットラーの格好をして演説をぶるんです。最後に「ハイルヒットラー!」 と極めるのですが、監督もカメラマンも撮りながらゲラゲラ笑っているんです。やりにくいったらありゃしない。是非観てください。」
と宣伝したトコでトークショー終了。
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